Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"時が経たなら"
〜Brothers ( II )〜

<<前へ   次へ >>
「おい!」
 呼びかけて、シークェインは前を歩く長身を立ち止まらせた。
近衛の中でも特徴のある鎧と、その上にゆるく着た白と赤の近衛服。兜になびく赤い飾りが、騎士らをまとめる地位であることを物語っている。副近衛長、シュリアスト・クローディア。
 振り向いたシュリアストに追いついて、シークェインはわずかに見上げる。いつの間にこの弟は、自分の身長を抜いたのだったか。
「ちょっと話ある」
「…守備隊の指揮はどうした」
「代わらせた」
 シャンクは近衛であるから彼ではあるまいが、誰であるにせよシークェインの代理を押しつけられて泣きを見ている哀れな犠牲者の様子はありありと目に浮かんだらしく、シュリアストの唇から溜息が漏れる。
「―――シーク、なにしてるのよ!」
 シークェインの姿に気づいたレリィが駆け寄ってきた。その後に影のようにクライアが付き従う。
「守備隊の指揮は?」
「代わらせた」
「…そう…」
 レリィが頭を押さえて、やはり溜息をつく。シュリアストの思い描いたものと同じ光景が目に浮かんだに違いない。
 シュリアストは兄に向き直る。
「もうすぐ出撃だ。用があるなら早く…」
「死んだら殴る」
 あまりに端的すぎる『用』に、シュリアストは一瞬固まった。その口を衝(つ)いて出たのは、反射的な返答。
「死んでから殴ってどうする。遅いだろう」
「まあな。今殴るか」
「ちょッ…、阿呆か! 子供みたいな真似をするな!」
 げんこつを作って構えた兄を鬱陶しげに避け、シュリアストは北門方向へ去って行った。それを見届け、シークェインは含み笑う。
「いいな。やっと兄弟らしくなってきた」
 嬉しそうな様子のシークェインだが、隣でレリィはその言葉に違和感を覚えて首を傾げる。気づいたか、シークェインは付け加えた。
「あいつとは、つきあい短いからな」
 きょとんとするレリィ。
 ラドウェアにこの兄弟が現れたのは六年前。いかにも仲良くしているという様子はなかったし、シュリアストはラドウェア近衛、シークェインはエアヴァシー守備隊と、離ればなれの所属となった。だが、それをもって「つきあいが短い」と言うものだろうか。兄弟とは、もっと深い縁で結ばれているものではないのだろうか。
 ―――そういえばわたしは、この人の過去をなにも知らない。
 彼が海の向こう、シルドアラにいた頃の事は、寝物語にも一切口にしなかった。理由はわからない。考えたこともなかった。話したくないのだろうか。聞かない方がいいのだろうか。けれど、もしその過去に辛いものがあったのであれば、それを分かち合いたい。話してほしい。
 昨年秋のシークェインとの遠出から、堅く閉ざしていた心を開き始めていたレリィは、今までにはなかった想いが胸にあふれるのを感じていた。
 ふと、目が合った。と思いきや、シークェインはレリィの左右の頬をつまんで引っ張る。
「…は…」
「どうした、ぼーっとして。惚れなおしたか?」
「ばっ…ばは!」
「ばは?」
「ばかって言っ…、」
 そこで背後のクライアの存在を思い出し、レリィはシークェインの手を自分の頬から引きはがし、彼自身の頬に押しつける。
「も、もうすぐ出撃だから! ほら、コウが戻ってくるし! 見つかったら怒られるわよ!」
 説得の用をなさない稚拙な脅しに、シークェインは笑いながら従った。片手を上げて去っていく。
「…変わられた」
「え?」
「いえ。良い事かと」
 そう呟いてレリィを見るクライアの面(おもて)には、微笑が浮かんでいた。レリィは戸惑ったように目を逸らす。赤い外套(マント)をなびかせながら遠ざかる、シークェインの背中が見えた。
『やっと兄弟らしくなってきた』―――
 過去の仲が芳(かんば)しくなかったことを窺わせる言いぐさだ。いかなる運命の糸の絡み合いを経てきた二人だったのか。
 いつか、シークェインの口から語られる時が来るのだろうか。それを聞いた時、彼との絆はきっと、より強くなる―――レリィはそう確信した。
 そのためにも、この戦を戦い抜く。紫の瞳に決意が宿る。
 彼女が目を向けた先、整列した騎士たちの横で、近衛長コウが馬にまたがった。出撃の時が近づいている。
 コウはゆっくりと馬の向きを変え、兵士たちの前に歩ませる。ジャルークがそれに付き従い、馬が歩みを止めたところで手を上げた。
「全員注目! これより作戦に入る!」
 普段の寡黙ぶりからは想像できないような声量で、ジャルークは高らかに宣言する。コウは真っ直ぐに宙を見つめ、大きく息を吸い込むと、
「目的は敵魔導師ヴェスタルの撃破。各自、全力を尽くすこと!」
 剣を抜き、天高く掲げた。朝日が剣先にまばゆく弾(はじ)ける。
「行くぞ、みんな! ―――『剣を取れ、汝が愛する者らがために』!」
 兵士たちが一斉に唱和する。ラドウェア古語による、出撃の決まり文句だ。
 それを受けて、門の前に陣取っていた魔導師団が左右に展開した。その中央に立つのは、魔導長ティグレインだ。
「一班、対物理障壁を展開せよ!」
 凛とした声が響き渡る。門の格子前に踏み出す少数精鋭の魔導師たち。それぞれの両手が、魔力の壁を作り出す。格子を隔てたすぐ向こうには、死せる兵士たち。物理障壁の展開は、格子を抜ける矢や槍から魔導師たちを守ることが目的だ。
 ティグレインは懐から魔導具を取り出し、高く掲げた。暗褐色の石をあしらわれたそれは、陽光を反射してきらりと煌めく。
「魔力解放!」
 ティグレインの命令が下った。後ろに控えた魔導師たちが、一斉に魔力を放出する。ティグレインの掲げた魔導具が、それを吸い込み始めた。魔導具を使うことで力を一点に集中させ、突破口を開こうというのだ。暗褐色だった石はやがて赤へ、そして鮮やかな真紅へと色を変えていく。
「開門!」
「―――開門!」
 門の上階を預かる兵士が、力一杯巻き上げ機を回す。ガラガラと音を立てて、格子が上がり始めた。遮る物のなくなった狭い門に、死者の群れがどっと押し寄せる。
 その瞬間、ティグレインの目が鋭く光った。飽和状態にある魔導具に、ほんのわずか、魔力を加える。それを引き金に、注ぎ集められた魔力が一気に解き放たれた。奔流となって死者たちを巻き込み、轟音と共に門から放たれる。圧倒的な熱量が、その直線上の全てを焼き尽くす。詠唱系の上級魔法に匹敵する威力だ。
 負荷に耐えきれず、魔導具は粉々に砕け散った。物理障壁を解いた魔導師たちと共に、ティグレインは道を空ける。
 馬上、近衛長コウは剣を大きく振りかぶり、前方を指した。

<<前へ   次へ >>
▽ NARRATIVEインデックスへ戻る ▽