Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"消えた標的"
〜Incomprehensibility〜

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 稲光と轟音に怯える馬をなだめながら、シュリアストは焦っていた。魔導師ヴェスタルの発する魔力を辿るはずが、その魔力の主を見失ったというのだ。後続を止まらせ、連絡を担う魔導師ビスタに問う。
「結界か?」
「いえ、その様子はありません」
「転位魔法(テレポート)は」
「それもないかと」
 ヴァルトによれば、ヴェスタルは転位魔法を修得していない。会わなかった数年間に修得したか、初めから隠していた可能性は否定できないが、使えば必ず波紋のように魔力の歪(ひず)みが確認されるものだ。そもそも転位は詠唱系上級魔法に匹敵するほど多大な魔力と精神力を消費する魔法、二城を陥(お)として疲弊したヴェスタルがそうそう使えるものではない。転位魔法に能力特化して消費魔力を減らしているヴァルトの存在は、魔導師の中でも例外中の例外だ。
 ヴェスタルには魔力を隠すすべも退避するすべもない、そうティグレインに太鼓判を押されての出撃だったではないか。
「くそッ、よりによって…!」
 いまいましげにシュリアストは唇をかみしめる。これでは作戦も何もあったものではない。魔導師団が、魔導長が、このような事態が起こることを見抜けなかったなど、何たる迂闊か。
「本隊がエンガルフと接触しました!」
 ビスタが上げた声に、シュリアストは舌打ちした。副騎兵長ロジェンに向かって言い放つ。
「ロジェン、兵を率いて戻れ!」
「は!? 何言ってんだよ!」
「命令だ、退却しろ! 作戦は中止だ!」
「なん…」
 唖然とするロジェンに、シュリアストはごく手短に告げる。
「ヴェスタルを見失った」
 ロジェンは二度三度首を上下に振って、あきれと納得の綯(な)い交ぜになった反応を示した。馬首を返し、兵たちに向かって声を張り上げる。
「不測の事態が起こった! 退却する!」
 ロジェンが馬を走らせる。彼を先頭に、騎兵たちが次々に馬首を巡らせて退却を始めた。地を打つ蹄(ひづめ)の音と共に遠ざかるその背中を見送り、シュリアストはビスタに視線を回す。恐縮した様子で、ビスタは頭を下げた。
「すみません」
「…別にお前のせいじゃない」
 言ったものの、シュリアストの苛立ちは収まったわけではない。だがさし当たって、焦りがそれを凌駕していた。
「本隊は今どこにいる」
「西門からまっすぐです」
「ここからは」
「丁度、南西の方向……シュリアスト殿!?」
 ビスタの言葉を聞くや否や、シュリアストは馬を駆り始めていた。馬蹄が土を跳ね上げながら律動的な音を刻む。馬の揺れに合わせて腰を浮かせながら、シュリアストは剣を抜いた。
 かつてない悲惨な戦いが待ち受けていることを、彼はまだ知らない。


◇  ◆  ◇


 ヴェスタルが消えた。その事実は当然ながら待機中の魔導師団上層にも知れており、魔導長ティグレインを愕然とさせていた。
「馬鹿な…、その様な事が…」
「ですが、転位魔法(テレポート)や結界を使った気配はありません」
 ヒュレンが応じる。その魔力に対する敏感さゆえに、今回連絡員に抜擢された青年だ。
 ティグレインは、知らず右手で頭を押さえていた。
「まさか…。龍の血の力、これ程だと言うのか……」
「龍の血が?」
 副魔導長カッシュがいぶかしげに問う。魔導師ヴェスタルがかつて龍の血を得たという話は聞いた。だが龍の血といえば、主に触媒として使われるものだ。それが今、何の形跡もなしにヴェスタルが消えたことと、どう関係するというのか。
「私の憶測に過ぎぬが―――」
 そう前置きして、ティグレインは語り始めた。
 そもそも龍は、伝説によれば七界を自在に渡る唯一の生物。もしその力が、血を自らに取り込んだ者に何らかの形で備わるとすれば。
「別界……中でも地上に最も近い風界に逃げた可能性が有る」
「…ほぉー」
 とっさに納得はしがたい話だ。だが考えてみれば、巫女が霊界に降りる力を持つのも龍の血の女王の遠縁にあたるがゆえとの説もある。いずれにせよ、魔法を使うことなく消えたという事実は動くものではない。カッシュは腕を組む。
「で、どうする?」
「作戦を中止するより他に有るまい。ヒュレン」
「騎兵隊はすでに退却を始めています。近衛は―――」
 そこで、はっとヒュレンが息をのんだ。
「動きません。どうやら《霊界の長子》と対峙しているようです」
「何……だと?」
 ティグレインの顔がこわばった。
 エンガルフの強さを直接には知らない。だがあのヴァルトをして「オレが負ける」と言わせしめた者だ。コウとてそれを聞いたではないか。
「コウ殿、何ゆえ退(ひ)かぬ…!」
 カッシュがヒュレンの方を振り返る。
「ヒュレン、オーフルとつなげるか」
「はい。映像投射します」
 ヒュレンは両の手をまっすぐ前に延ばした。その先に、ぼんやりと別の景色が浮かび上がる。
 オーフルは今回の作戦で近衛本隊についた魔導師だ。彼の目を通して見たものを、ヒュレンがそのまま映像としてこの場への展開を試みる。作戦を終えて一時解散していた魔導師団の面々が、我も我もとその周囲に集まり始める。
 映された景色は徐々に鮮明になり、焦点を結んだ。背後の魔導師たちがどよめく。
 真っ先に目に飛び込んできた色は赤、それも血の赤だった。混戦の真っ只中だ。ヒュレンによる投影は映像のみで、音はない。それだけに、この血みどろの戦いには現実味がなかった。兵士たちが戦っている相手は、エンガルフではない。死者の群だ。
「何してやがる。近衛長はどうした!」
 カッシュが悪態をつく。死者たちとここまで接近して戦うなど、作戦にはない。こうなる前に近衛長コウが後退なり退却なりの命令を下すべきだ。
 カッシュの声に反応したかのように、画面が―――オーフルの視線が動いた。一騎の近衛と、奇妙な出で立ちの男が向かい合っている。馬上の人は近衛長コウ。そして。
「あれが、エンガルフか…」
 ティグレインが呟く。巫女レリィを長らく苦しめ続け、今しもラドウェアを危機に瀕させんとする、いわばラドウェアの宿敵だ。
 二人は微動だにせず睨み合いを続けている。その間にも、オーフルの視界には血の飛沫が舞い飛び、敵とも味方ともつかぬ者たちが倒れていく。
 突如、画面が激しく揺らいだ。オーフルの体が横転したのだ。息をのむ暇もなく、剣を振り上げた死者の姿が写り、―――その剣が振り下ろされた。
「オーフル!」
 届かぬとは知りながらも、カッシュが叫ぶ。不死の兵士の無表情な面(おもて)。それが血しぶきに曇り、やがて映像はぷつりと途切れた。
 カッシュも、ヒュレンも、ティグレインでさえも、言葉を紡ぐことはできなかった。
「ま、魔導長、恐れながら……援護に向かうべきでは…」
「今すぐにでも出られます、魔導長!」
 魔導師たちの中から声が上がる。だが、ティグレインは応じない。
 魔導師が立ち向かえる相手は魔導師のみ。物理的な防御魔法も無論ないではないが、発動前の隙を衝(つ)かれれば命はない。通常、魔導師が白兵戦に出ない原則がそこにある。
 ヴェスタルはまだ生きている。魔導師団は、そのヴェスタルへの切り札となりうる。ここで打撃を被るべきでは、ない。たとえ近衛本隊が壊滅することになってもだ。
「オレが行く」
「無駄だ」
 カッシュに対し、ティグレインは即答した。確かにカッシュの好んで用いる魔法は通常の魔導師のそれではなく、武器や己の拳に乗せて強化する肉弾戦向けのものだ。だからといって、超人ならぬカッシュがエンガルフに立ち向かえるものではない。薄々気づいていたか、普段であれば食い下がるはずのカッシュが、無言で引き下がった。
 エンガルフは今動いていない。しかしひとたび動けば、全ての兵の首を刈り取ることなど容易であろうと思われた。実際、首から鮮血を噴き出しながら戦う者たちが、あの場で首を落とされたばかりの兵であることは間違いない。
「では魔導長、せめて近衛長に撤退するよう…」
「副隊長はジャルークだったな」
「え? は、はい、そうですが…」
「ジャルークに伝える。ヒュレン」
「は…はい、ジャルーク殿につなぎます」
 ヒュレンは再び意識を集中させた。連絡は基本的に各隊に配置された魔導師を通じて送られる。だがオーフルが倒れた今、ジャルークへの命令は、彼のごく近くに魔法で音の通路を切り開いて伝えることになる。魔導長としては越権行為だがやむを得ない。
「ジャルーク殿。魔導長ティグレインだ」
 ひと呼吸置いて、ティグレインは続けた。
「兵を撤退させよ。近衛長は動けぬ。魔導師団も援護は出来ぬ。貴公が撤退させねば、近衛本隊が全滅すると知れ」
「動けぬ…だって?」
 カッシュが片眉を跳ね上げた。ヒュレンが接続を解除したのを見計らってティグレインに問う。
「どういうことだよ」
「動けるのであればとうに撤退している」
 その前提には、コウに対する信頼に関する説明を要する。ゆえに、ティグレインは省いた。睨み合いでエンガルフを抑えているのか、はたまた何らかの力で動けずにいるのか、それは定かではないが、いずれにせよコウが足止めを食らっているのは確かだ。
「ヒュレン、近衛本隊の動きは」
「はい。今のところまだ」
「…そうか」
 ティグレインは天を仰いだ。内外の城壁に挟まれた狭い空は、重く垂れ込めた暗雲に完全に侵略されていた。


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