Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"面会"
〜to Arrange Minds〜

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「…なるほどね」
 じわりじわりと明滅を繰り返す魔法陣の上、ヴァルトは気だるげに床から身を起こした。両腕を前に出して伸びをする。
「ティグの予想は合ってると思うよ。エンガルフは魔法は使い慣れてないだろうし、そもそも使うまでもない」
 エンガルフが魔法を使う可能性がそう否定された事は、ラドウェアにとってわずかなりとも朗報と言える。にも関わらず、魔導長は浮かぬ顔だった。
 魔導師の塔の地下。ひんやりとした空気は重く、どこかしら呼吸を阻害するもののように思えた。
「シェードとエンガルフの関係も、知っていたのだな。シェードが契約し力を明け渡した者がエンガルフである事も」
「ティグだって予想はついてたんじゃない?」
 沈黙が降りる。
「何ゆえ…、否、私の問題か…」
「どうしてオレが何も言わなかったか、ってコトでしょ?」
 ティグレインが濁した言葉を、あっさりとヴァルトは拾う。
「訊いてもいいのよ。素直になんなさいな」
 その笑顔に嫌みはない。それをどう受け取ったものか、ティグレインは戸惑いを隠そうとして失敗する。ヴァルトは笑って目を伏せた。
「ま、いつ言ってもよかったんだけどさ。それこそラドウェアに来る前から知ってたっちゃ知ってたし」
「…ラドウェアに来る前から、とは?」
「アイツ最後にオレんトコ来たもん」
 ティグレインの顔が強(こわ)ばる。
 自らの存在の消失をほのめかしてラドウェアから姿を消した、時の魔導長シェード。彼がヴァルトのもとを訪れていたとは、こうしてヴァルトの口から語られるまで、ティグレインには知る由(よし)もなかったことだ。
「シェードは何と?」
「巫女の預言で『異界の王がラドウェアを滅ぼす』ってのと、霊界の長子と契約してたってコト。あと、」
 懐かしいものを思い出したかのように、ヴァルトの唇が笑みを浮かべた。
「ラドウェアを守ってくれ、って」
 ティグレインの知る破天荒なシェードの口から出たとは思いがたい、至極素直な台詞だった。そもそもシェードが他者を頼る性格であっただろうか。ヴァルトにだからこそ頼めたのか、はたまた自らの死期を悟ったがゆえの行いだったのか。
「それが為に貴殿はラドウェアに?」
「んー、まあ、気が向いたからね」
 大きなあくびをするヴァルト。「気が向いた」などと言いながら、ラドウェアに、あるいは魔導師団に、盛大な喧嘩を売る登場の仕方を果たしたことは周知の事実だ。
「何ゆえ今になって話す気になった」
「さぁ…。気が向いたから?」
「……成程」
 魔法陣の外周を、ゆっくりと巡る。靴音が、地下室に響きわたる。
「異界の王がラドウェアを滅ぼす、と言ったか…」
「ん? ティグその話聞いてなかったの?」
「巫女の預言は極力聞かぬようにしていたのでな」
「当たるから?」
 ティグレインは答えない。その足音を背後に、ヴァルトは含み笑う。
「いいんですか、魔導長がそんなで」
「その問いを発する者が過去に居なかった事は不幸であったな」
 歩みを止め、天井を仰ぐ。
「異界の王……エンガルフか……」
「今のトコ可能性が高いのは、ね」
 異界の王と言うならば、七界のうち地上と狭間を除いた五つの界の王が当てはまる事になる。ヴァルトが示唆したのはそれだ。が、ティグレインが魔導長として当面対処しなければならないのは、言うまでもなく《霊界の長子》だ。
 火傷で突っ張った肌を、ティグレインは無意識になぞる。
「…ヒュレンが言っていたな。ヴィルオリスがいれば、と」
「いないヤツのコトどーこー言ってもね」
 奇(く)しくもそれは、ヒュレンに対してティグレインが返した台詞と同じだ。ティグレインは多分に苦笑の混じった失笑をする。だがその笑みはすぐに引いた。階上からの足音を聞いたからだ。現れた人物を目にして、ティグレインは外套(マント)をひるがえす。
「では、私はこれにて失敬する」
「もういいのか」
 シークェインだ。彼に一瞥をやって、魔導長は応じる。
「私の話は終わったのでな。では」
 巨漢の横をすり抜け、階段を上っていく。踵(かかと)の高い靴底の奏でる音が遠ざかるのを待たず、シークェインは魔法陣の中央に居座るヴァルトを見下ろした。
「おう。元気か?」
「そこそこ」
「そこそこか」
 ヴァルトの隣に腰を下ろし、頭で組んだ腕を下敷きに寝転がる。そのまま、互いに何を話すわけでもなく、数十秒。ヴァルトが同様に仰向けに寝転がり、さらに数十秒。
「しょうがなかったと、思うか」
「何が?」
「コウ」
 聞いて、ヴァルトは変わらぬ笑みを浮かべたまま、シークェインの方に顔を向ける。
「しょうがなかったと、思いたい?」
「…そういうことだな」
 天井を眺めながら、シークェインは無表情だ。厚い唇を閉ざし、ゆっくりとまばたきを繰り返す。それを妨げるでもなくヴァルトは横顔を見守る。やがて、シークェインは再び口を開いた。
「あいつは、覚悟したんだろうな。少なくとも、死ぬ瞬間は。アリエンも子どももいて、死ぬなんて…ばかなやつだ」
 数秒の沈黙。
「…死んだ人間になに言ったってな」
 シークェインは瞼(まぶた)を閉じた。
「死んだ人間になに言ったって仕方ない。だからおれは、あいつに…シュリアストに言ってやるんだ。なにがあっても、おまえはおれの弟だ、ってな」
 目を開ける。唇が、笑った。
「おれはやっと、始まったんだ。あいつのことも、レリィのことも。おれは死なない。おれは…なにを犠牲にしたって、生き残ってやる」
 それを聞いて、幾分控えめだったヴァルトの笑みが、はっきりとそれとわかるものに変わる。つり目を猫のように細めるその表情を見せる相手は、シークェインの他にはディアーナかティグレインぐらいのものだ。
「それだけの覚悟がある、ってコトね」
「あたりまえだ。なかったら死ぬだろ、戦いってやつは」
「かもね」
 ヴァルトは仰向けに直り、両腕を上げて伸びをする。その横で、シークェインは上体を起こした。
「そろそろ戻るか」
「あら、用は?」
「おまえの顔見にきただけだ」
「ホントに?」
 少しの間の無言の後、シークェインはヴァルトに向かって、唇をゆがめるように笑った。
「たまにはおれだって、弱気になるさ」
 ヴァルトの表情を確認することなく立ち上がる。それを追うようにヴァルトもまた体を起こす。シークェインは肩越しに振り返って片手をあげた。
「じゃあな」
「あいさ、おやすみ」
 大股で部屋を出、石の階段を上がっていくその背中を見ながら、ヴァルトは不透明な笑みを湛えて小さく呟いた。
「…おやすみ、シーク」

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