Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"犠牲の行方"
〜Strengthen their Unity〜

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 朝方吹いていたはずの風はぴたりと止み、会議室の温度は上がる一方だ。略装とはいえそれでもなお襟元(えりもと)の厚い文官長の服を着込んだルータスは、ひっきりなしに汗をぬぐっている。
 シュリアストは一人立った状態で、近衛長の定位置にいる。折れた右腕はヴァルトによる処置で固定され、首から布で下げている。
 緊張を吐き出すように、シュリアストは深呼吸した。室内を見回す。正面に女王ディアーナ、そこから左回りに文官長ルータス、守備隊長シークェイン、近衛長シュリアスト、魔導長ティグレイン。空席がひとつ。
「レリィは」
 視線を受けて、ディアーナが応じる。
「体調が悪いって。部屋で休んでいます」
「…一人にして大丈夫か」
「エリンがついてるから」
 うなずいて、シュリアストは再度、室内を見回した。
「では、会議を始める」
 一同が居住まいを正す。ルータスも額の汗を拭っていた布を懐にしまい込み、机の上に置かれた冷茶の杯を口に運んだ。
「戦い…の状況だが、」
 シュリアストは手元の紙を左手でめくる。
「近衛の死者が、近衛長コウ・クレイド・ヴェフナー以下三十三名。魔導師団からも一人が犠牲になっている。《霊界の長子》を名乗る魔人エンガルフに遭遇し、周囲の兵ともども戦闘状態に入った結果だ。こちらが与えた損害はほぼゼロ、魔導師ヴェスタルも姿を眩(くら)ました」
 一気にそこまで読み上げ、様子を窺う。目新しい情報はなかったか、出席者の表情に変化はなく、一様に固いままだ。深呼吸して、シュリアストは続ける。
「現在、魔導師ヴェスタルの魔動人形が外城壁を攻撃している。今のところ持ちこたえてはいるが、……」
 ティグレインに視線を送る。気づいて、魔導長は組んでいた腕を解いた。
「現時点で何日の猶予が有るかは判断の仕様が無い。城壁を作った人物であれば別だが」
「…どうにかならないのか」
「相当前から周到に準備されていたのであろう。魔動人形には強力な耐魔法処理が施されている。魔導師団が打撃を与える事は困難だ」
「投石機でも出してぶっ放てっていうのか」
 シークェインが無表情に言い捨てる。もとより近衛や守備隊のかなう相手ではない。魔導師団がお手上げだというなら、他にどんな手段があるというのか。
「落とし穴…とか」
「魔導師に感づかれずに、とは行きますまいな」
 ディアーナがおずおずと出した案を、ルータスが退ける。シュリアストは唇を引き結んだ。
「やはり…ヴェスタルを仕留めるしかないのか」
「異界に逃げ込む者をどうやって?」
「…おびき寄せるしかないだろ」
 シークェインが発した一言に、会議は沈黙した。意味するところに気づいて、はっとディアーナが顔を上げる。
「私が、」
「駄目だ!」
 シュリアストが鋭い声を上げる。
「女王を餌にヴェスタルをおびき出すなど…!」
「ほかに手があるのか?」
 シークェインはそっけない。シュリアストは言葉に詰まった。代わってティグレインが、冷茶の杯に手を伸ばしながら指摘する。
「今女王が姿を現したとて、のこのこ現れる相手では無かろう」
「おれは『ほかに手があるのか』って言ったんだぞ」
「罠は仕掛けただけでは意味が無い。確実におびき寄せる保証が有るのでなければ」
「ある、と…思います」
 ディアーナの声に、ティグレインは口を閉ざして発言を譲り、自らは杯に口をつけた。女王は唇に手を当てながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「近衛が決定的な打撃を受けて、敗北を悟った女王が、自らを犠牲にするために現れる…。筋書きとしては、不自然はないはず」
「しかし…!」
 シュリアストは焦りを隠せない。ディアーナはこの数秒で、既に意志を確固たるものにしているようだった。
「私が行きます。護衛は必要ありません。魔導師団は…」
「お待ち下さい」
 ルータスが遮る。
「我々が女王をおとりに使うという手も、敵魔導師は想定していると思われます。裏をかかれては…」
「でも、他に手段は」
「駄目だ! 他の者が女王の姿に変身する魔法はないのか!」
「相手は魔導師だぞ。見抜かれるに決まってるだろ」
「しかしながら、陛下に万が一の事があっては」
「待たれよ」
 一回り大きな声が、議論を止めた。声の主、魔導長ティグレインが、おもむろにディアーナに顔を向ける。
「魔導師ヴァルトを、この場に召喚して戴きたい」
「ヴァルトを?」
「左様。彼(か)の者は何らかの策を有している」
 ティグレインにとっては、賭の要素が少なからずあった。だが、ヴァルトが次の手の存在を匂わせていたのは確かだ。
「わかりました。魔導師ヴァルトをここに」
 ディアーナの声に、シークェインが席を立つ。
「おれが呼んできてやる。休憩してろ」
 言うなり、広い肩をひるがえして会議室を出て行く。
 シークェインの言葉ゆえにではなく、彼の行動ゆえに、会議は休憩に入らざるを得なくなった。人をして呼びにやればよいものを、とティグレインは苦々しい表情を浮かべたが、すぐに仏頂面に戻った。ルータスの声がしたからだ。
「シュリアスト殿」
 名を呼ばれ、冷茶を口にしていたシュリアストの面(おもて)に緊張が走る。杯を置く音が、いやに響いて聞こえた。
 文官長は一見穏やかな面持ちで自らの口髭(くちひげ)をなでていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「私はあなた様という人間をよく存じ上げない。だが我々は率直に語り合うべきと信じるがゆえに申し上げます」
 その物言いから、どうやら歓迎すべき話題ではないことは知れた。シュリアストは唇を固く結び、努めて表情を押し殺している。
 ルータスは声を低めた。
「噂が火の手を上げております。良くない噂が」
「…どんな」
 張り詰めた空気の中、ルータスはひとつ息をつき、シュリアストをまっすぐに見つめやる。
「コウ殿を殺害したのは、あなた様ではないか、と」
 会議室の空気が、凍った。
「なッ…」
「近衛はコウ殿とあなた様を残して撤退した。そこでコウ殿が命を落とした。あなた様を迎えに行ったのはあなた様の兄君。…何が起こっていたとしても隠しようがある」
「シュリアストはそんな事…!」
 思わず声を上げるディアーナを、ルータスは手で遮った。
「陛下。私はご本人と話をしております。たとえ濡れ衣だとしてもそれを自力で払えぬようであれば、」
 ルータスの目が鋭くなる。
「この先、人の上に立ち続ける事は叶いますまい」
「…………」
 兄であれば、くだらないと一蹴したであろう。だがシュリアストは言葉に詰まったきり、呆然とルータスの顔を視界に入れている。そのまま、かすかに首を横に振った。
「俺は…やってない」
「証明できますかな」
 ルータスの追撃に視線を落とし、シュリアストは唇を真一文字に引き結んだ。
「…証明は、」
 眉間に、深い皺が寄る。
「証明はできない。だが、」
 目を閉じ、開き、ルータスを見つめやる。
「形見の剣に誓っていい。コウは俺をかばって死んだ」
 睨む一歩手前の凝視に、ルータスは怯(ひる)んだ。だがすぐにシュリアストは彼から目を逸らす。
「俺のせいだというなら、その通りだ。だが、俺が殺したかどうかを問うなら、俺は断じてやってない」
「…なるほど」
 ルータスは口髭をなでる。その隣で、ディアーナは息を殺してその表情を窺っている。ティグレインは先刻から腕を組んだまま微動だにせず、耳だけを傾けている。
 やがて、ルータスは髭から手を下ろした。
「自分のせいだとは思わぬ事です。あなた様がそう思った所で誰も喜びはしない」
 弾(はじ)かれたようにシュリアストは顔を上げる。ルータスは微笑んで見せた。
 ディアーナが安堵の溜息をつく。それを見てようやく、シュリアストはわずかながら緊張から解放されたようだった。
 開け放った窓の外で、思い出したように蝉が鳴き始める。ルータスもまた、思い出したように懐から布を取り出し、額を拭う。
 その時、前触れもなく扉の取っ手が回り、会議室の扉が引き開けられた。


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