Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"二つの預言"
〜Prophecy telling the Downfall

<<前へ   次へ >>

 シュリアストが左手で机を叩いた。強く息を吐く。
「…無茶苦茶だ」
「ですが、他に手は」
「ないのか……本当にないのか…?」
 眉間に深いしわを寄せて自問する。
 すでに会議は閉会し、部屋に残っているのは近衛長シュリアストと文官長ルータス、守備隊長シークェインのみだ。
 シュリアストはぎこちなく首を振った。
「城下を吹き飛ばす、だと…? 一体何百人が住んでいると…」
「わかってる」
 声に、シュリアストは顔を上げる。腕を組んだシークェインが窓の外を見ていた。
「あいつは全部わかってる。わかってて、あれしかないって言ったんだ」
 シュリアストの薄い唇が皮肉にゆがむ。
「随分信頼してるんだな」
「信頼するしかないって言ったのはおまえだろ」
 裏庭を見下ろしていた目を室内に戻し、シークェインは腕を解いた。
「おまえはディアーナのことだけ考えろ。街がどうとかは文官長の考えることだろ」
 シークェインに顎で指されたルータスが苦笑する。
「確かに非常に頭の痛い問題ですな」
 ルータスは顔を引き締めた。
「不便はさせるでしょうが、本城(キープ)に全ての民を住まわすことは不可能ではございません。備蓄は一年分ございます。《七星の王》の威力がいかほどのものかは解りませんが、本城が残るからにはひとまず冬を越すことはできましょう」
「…それは、そうだが…」
 シュリアストは語尾を噛み締める。それと共に何らかの感情を噛み締めた彼の表情を見て取って、シークェインが問った。
「いやか。ヴァルトの案に乗るのが」
 シュリアストは、しばしの間おし黙る。
「…他に手がないと誰が証明できる」
「子どもかおまえは」
「奴は、」
 左手を握りしめ、シュリアストはいつの間にか下がっていた顔を上げる。
「奴は本当に信頼に値するのか? 奴は、…そもそも奴は、何者なんだ!」
 あまりにも今更すぎたその問いに、だがしかし答えられる者は城じゅうを探したとて誰一人いないだろう。シークェインは無言で弟を見つめていたが、やがて唇に笑みを浮かべた。
「わからんさ。だが、おまえは揺らぐな、近衛長」
「…………」
 憮然とした顔をしたものの、シュリアストはそれ以上反論することはなかった。近衛長が揺らげばラドウェアが揺らぐ。自明の理だ。再度うつむき、拳を机に押しつけるように力を込める。
「俺は……」
 それきり言葉を発しなくなった弟に、シークェインは沈黙をもって喋りを促そうとしたが、弟がいつまで経っても動かないのを見て取って、自らの生み出した沈黙を破った。
「ディアーナを守りたいんなら、おまえとラドウェアの大体の人間の意見は、今のところ合ってる。それでいいだろ、とりあえずは」
 果たして聞こえているのか、とルータスが疑うほどに、シュリアストは長いこと反応を示さなかった。シークェインは、それ以上余分な言葉を継ぐことも目を逸らすこともしない。シュリアストが肯定するのを確信しているかのようだ。
 そして実際、シュリアストは、そうと判る者でなければただ少し首を垂れたとしか見えぬ程度に、うなずいた。


◇  ◆  ◇


 それぞれ鍵の違う三重の魔法封緘(ふうかん)、その間に施された暗号。細心の注意を払ってそのひとつひとつを解き、厳重に封印された保管箱の蓋(ふた)を開いて、ティグレインはあたかも自らが封印から解放されたかのように、ひとつ吐息を漏らした。
 魔導師の塔、二階の奥まった部屋。一人ではない。漆黒の魔導師ヴァルトが、今にも口笛を吹き出すかのような緊迫感のない面持ちで、背後の壁にもたれている。ティグレインが保管箱から紙束を取り出したのを見て、彼もまたその側に寄った。
 代々の巫女たちの預言を書き留めたものだ。すべてラドウェア古語で書かれている。数枚ごとに束ねられた紙の、上から二つ目の束を取って、ティグレインは慎重に紐を解く。
「貴殿が欲していたのは、先代巫女の預言だったな」
「うん。一応確かめときたくて」
 ティグレインの差し出した紙束を受け取り、傍らの椅子に腰を下ろして、ざっと目を通す。
「ふーん、これっぽい。『偉大なる王が輝く星々を墜(お)とし、永(なが)き闇が訪れる。薄暮の女王の娘、深き夜を独り彷徨(さまよ)う。その夜の名は、ラドウェアの滅亡』」
 ディアーナ誕生の際の巫女アリューシャの預言。ラドウェアの滅亡をこれ以上なく明確に言い切った預言だ。ティグレインにしてみれば、聞き覚えがあるどころの話ではない。当時の魔導長シェードの隣で実際に目の当たりにしたものだ。その時に走った衝撃は、忘れようとて忘れられるものではない。
 それを慮(おもんぱか)る様子もなく、ヴァルトは指先で頬をかきながら小首を傾げる。
「じゃ、シェードの言ってた『異界の王がラドウェアを滅ぼす』ってのは必ずしも正確じゃないわけだ」
 『偉大なる王が輝く星々を墜とし』、と預言は言っている。異界の王と明言したわけではない。
「偉大なる王、か…。私には霊界の長子の他に心当たりは無いが」
「んー……んー……」
 珍しくもヴァルトが溜息めいた唸りを漏らす。
「オレの心当たりは、もう一人と、ひょっとしてひょっとするとさらにもう一人いる、けどねぇ…」
「ほう」
「前者だとしたら、正直ラドウェア滅びるしかないわ」
 ティグレインは硬直した。まさかヴァルトの口からそのような諦めの言葉が出るとは、想像しようとすらしていなかった。動揺を悟られまいと、ゆっくりと呼吸を整える。
「巫女の預言を覆(くつがえ)すと、言ったでは無いか」
「うん。覆そうとしたその結果でラドウェアが滅びる、ってのが今想定してるパターン」
「…《七星の王》の失敗、か」
「そ」
 ヴァルトは預言の束を置き、頭の上で腕を組む。
「《七星の王》はまさに『星を墜とす』魔法。文字通りすぎるっちゃ文字通りすぎるけど、それが失敗してラドウェアが滅びる、ってのは可能性として十二分にある」
「その場合、『偉大なる王』とは…貴殿の事か」
「そうなるね」
 思いのほか素直に認めたヴァルトに肩透かしを食らう。ティグレインは根拠を問い詰めるべきか逡巡(しゅんじゅん)したが、優先させたのはもう一方の問いだった。
「今一人の心当たりは」
「んー。今生きてるかどーかわかんなくてねー」
 生きていることが望ましいのかそうでないのか、預言の内容からは判断しがたい。ヴァルトの表情からはなおさらだ。ティグレインは腕を組み、天井を見上げる。
「『偉大なる王が輝く星々を墜とす』…か。似た預言が過去に有ったな」
「ほぉ?」
 ヴァルトの興味深げな眼差しを受けながら、預言の束を手に取り検索する。
「『希望に輝く天空の星を射落とさんとする者、眠りに就(つ)き全てを失わん』…これだ」
「ふぅーん…」
 もうちょっとマシな預言はないもんですかね、というヴァルトの呟きをティグレインは耳にした。
「『眠りに就き全てを失わん』、か…」
「それがヴェスタルかエンガルフの事であるに越した事は無いが」
「まー…そうね」
 気のそぞろな相づちを打ちつつ、ヴァルトの表情は明るくはなかった。何を考えているのか問ったところで、求めるような応(いら)えは返って来ないだろう―――そう判断して、ティグレインは黙視する。
「ヴァルト」
 背後からの声に、二人は振り向いた。部屋の戸口に立っているのは、龍の血の女王ディアーナだ。両の手を胸で重ね、顔はうつむきがちだが、琥珀色(アンバー)の双眸(そうぼう)は、はっきりとその意志を伝えてくる。
「話がしたいの」
「何の件?」
 ディアーナは短い間沈黙したが、覚悟を決めたように顔を上げた。
「《七星の王》の件」


<<前へ   次へ >>
▽ NARRATIVEインデックスへ戻る ▽