Radwair
Cycle -NARRATIVE- |
"七界を統べるもの" 〜Questions and Answers ( I ) |
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意を決して城からここまでの道のりを歩んできたのだろう。ディアーナの琥珀色(アンバー)の瞳に迷いはない。ヴァルトの前の丸椅子に腰掛ける、その動作にもためらいは一切ない。珊瑚色(コーラル)の小さな唇が、はっきりと問いを発する。 「七星の王って、何?」 詠唱系超級の禁忌魔法の名だ、と言えば曲がりなりにもその問いに答えたことになるだろう。だが、ディアーナはすでに十分にそれを知っている。その上での問いだ。 巫女の預言書の再封印をティグレインに任せ、ヴァルトはより深く腰掛けて脚を組んだ。 「『七星」ってのは天魔学上の用語で、ま、要するに七界を意味する言葉。王としてそれを支配するもの、すなわち―――龍王」 その名を耳にして、ディアーナは息を飲んだ。 七界を統べると言われる龍王。人知を超えた存在だ。五界が相争い、《調停の地》としての地上が作られ《狭間》が設けられた際に、七界の頂点に君臨したと言われる。古帝国デュライエムの滅びともに長い眠りに就き、すべての龍およびその眷属(けんぞく)もまた、この地上から姿を消した。人の身である龍の血の女王を除いて。 「龍王を、召喚する…?」 「や、召喚は無理。ちょっと力を借りて、各界に働きかけるだけ」 ヴァルトはディアーナの言葉をそう訂正したが、それによって事態の重大さが軽減された感はなかった。人の身にして龍に―――それも龍王に、働きかけ、目覚めさせる。 そもそも、ヴァルトは『人の身』なのだろうか。人の身にして人にあらざる者が、ただ龍の血の女王のみとは限らない。 ディアーナはヴァルトを直視したまま、しばらく黙した。ヴァルトは急かすでもなく、ディアーナの瞳を見つめ返している。唇には変わらぬ笑み。 ようやく、ディアーナが口を開く。 「魔力は…大丈夫なの?」 「だいじょぶ、ティグっちに手伝ってもらうから」 ティグレインが振り向く。 「初耳だが」 「やっぱり?」 言外に、今初めて言ったと示唆している。ティグレインは眉間にしわを寄せた。預言書の再封印の手を止め、ヴァルトに向き直る。その短い間に、ひとつの心当たりがつながった。 「貴殿、先日私に魔力を温存せよと言ったのは…」 「うん、そゆコト」 大げさに溜息をついて見せるティグレインをよそに、ヴァルトはディアーナに目を向けると、立ち上がってこちらも大げさな身振りで一礼する。 「女王陛下、他にご質問は?」 ティグレインを気にしながらも、ディアーナは抱えてきた質問の荷解きを続ける。 「七界の一部を歪める可能性がある、って言ってたのは?」 「文字通り」 それ以上の答えを待てども、ヴァルトの口が開かないことを見て取って、ディアーナは踏み込む。 「七界が歪んだとしたら、どうなるの?」 「精霊や亜人がもっともっと地上にあふれてくる。ひょっとしたら霊界の魔物もね」 今夜の夕食について語るかのごとくさらりとヴァルトは答えたが、内容は到底その水準(レベル)ではなかった。今でこそ、精霊や亜人には魔導師団が対処できている。だが今以上に増えるとすれば、その示すところは明白、人間の危機である。ルニアスが魔物を霊界に封じる以前の、人外のものどもが地上を闊歩(かっぽ)する混沌の時代の再来だ。 心なしか青ざめた顔で、ディアーナは問いを絞り出す。 「ラドウェアが、今…このラドウェアが、七界を歪めるなんて、そんなことをして……許されるの?」 「許すのは誰?」 間髪容れずヴァルトが問い返した。すとん、と椅子に腰を下ろして足を組む。いつもの姿勢だ。 「覚えておきなさい、ディアーナ。《世界》はすべてを許している」 ティグレインが素早く口を差し挟む。 「だが我々は人ゆえに人の法に於(お)いて生きるべきだ」 「うん、その考え方ももちろんアリ。言ったろ、《世界》はすべてを許している」 今に始まった問答ではない。ティグレインは困難と知りつつ論破の糸口を探ったが、ディアーナが口にしたのは、その考え方の是非ではなかった。 「ヴァルトはどうして、そこまでしてくれるの?」 「ん?」 「七界を歪める可能性があって…、それなのに、どうしてそこまでしてラドウェアを守ろうとしてくれるの?」 ヴァルトは穏やかな笑みと共に目を細める。慈悲さえ垣間見えよう顔だ。だがその口が紡いだ答えは、 「さあ、どうしてでしょう」 呼吸を五つほど数えるだけの時間が経ったが、根負けしたか、ディアーナは仕方なさそうに眉をわずか寄せて笑顔を作った。 「こんなに大事なことなのに、教えてくれないんだね」 ふふ、とヴァルトが応えて含み笑う。ディアーナの諦めに満足しているのか、嘲(あざけ)っているのか、どうとも取れる表現だ。少なくともディアーナはそれを気にした様子はなく、元の凛とした顔つきに戻る。当代の龍の血の女王。齢(よわい)二十一。見た目は年齢よりも幾分若く、あどけない印象を残す。隙がないというわけではない。だが見る者に心地よい緊張を与える。 「ここからは、女王としての質問じゃないけど、」 そう前置きして、ディアーナは膝の上で手を組んだ。 「ヴェスタルはどうして、わざわざ魔動人形を使って城を攻めたのかな。昔ラドウェアにいたのなら、そのまま女王に接触して、龍の血を手に入れられたかも知れないのに」 自らも当てはまり、事実危険にさらされている、「女王」という言葉を口にしながら、ディアーナの面(おもて)は冷静だ。状況を自らとは切り離して客観視するその能力もまた、女王が女王たるに必要なものなのだろう。 ヴァルトは今度はあっさりと答える。 「多分ね、ヴェスタルは女王には一度も会ってない」 「…母様に?」 「そ。理由がある。けど今は言わない」 「また内緒?」 「うん、ナイショ」 「わかった」 いつかはきっと教えてくれる、そんな信頼をにじませる笑みだ。ディアーナに限って言うならば、ヴァルトとの視線のやりとりは腹の探り合いではなく、互の信頼を確かめ合う大切な行為と見える。ティグレインは複雑な思いでそれを見守った。自分はヴァルトをそこまで信頼できるだろうか。この謎の多すぎる黒ずくめの男が行なった大事(だいじ)で、ラドウェアのためにならなかったことは確かにないだろう。だが、何もかもを知っているようなその態度、その言葉。ディアーナは不安を覚えないのか。その信頼は、若さゆえの無謀ではないのか。ひるがえって、ヴァルトを、ひいてはディアーナをも信頼しきれぬ自分は、果たしてこのラドウェアを守るに値するのか。 「もうひとつだけ、いい?」 返事の代わりにヴァルトは目で促す。ディアーナは胸の前でそっと手を組んだ。琥珀色(アンバー)の瞳が心細げに揺れる。 「コウが…亡くなって。何だか…、体の中身が抜けてしまったような感じがして、足元がふわふわ浮いてるような気がして。どうしたらいいのかな。どうしたら、もっとしっかりできるのかな」 「悲しみなさい」 ヴァルトは即答した。きょとん、とディアーナの瞳の揺れが止まる。漆黒の魔導師は、その呼び名には必ずしも似つかわしくはない、優しい笑みを浮かべていた。 「しっかりなんてしなくていいから。たくさん泣きなさい。涙が出なくなるまで泣きなさい」 「…うん…」 こっくりとうなずいたディアーナの目はみるみる潤み、微笑もうとした唇は固く引き結ばれる。ひくついた喉から無理矢理に押し出す声はひどく引きつったが、彼女は懸命に伝えようとする。 「ヴァル…ト、ありっ…がと…っ」 口角を上げて笑顔を作ると、両の目から次々に涙の粒がこぼれた。すすり上げ、立ち上がって深く一礼し、涙をぬぐいながら身をひるがえす。その背を見送り、扉が閉められたのを確認してから、ヴァルトは呟いた。 「オレが泣かしたみたいじゃね?」 「間違ってはいなかろう」 すげなくティグレインが肯定した。 |
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