Radwair Cycle -NARRATIVE- |
"覚悟" 〜Readiness or Resolution〜 |
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塔の頂上を見上げたヴェスタルは、眉をひそめ、次いで目を細める。 「覚悟はできたか、ティグレインよ。ラドウェアは滅ぶ。運命というものだ」 「それが運命だと言われて受け入れる覚悟など私は持たぬ!」 風になびく外套(マント)を打ち払い、高らかにティグレインは言い放つ。すかさずカッシュが「おう!」と鬨(とき)を上げた。それに鼓舞された兵士たちが、次々に勇ましい声を張り上げる。変わらずの渋い顔で、ヴェスタルは告げる。 「ふん。うぬらが虚勢を張ったとて、ラドウェアの民はどうか」 言うなり、両腕を広げた。それを直径とした青い光の魔力の円が、発動音と共に描かれる。何をする気かと構える兵士たちを前に、ヴェスタルは深々と息を吸った。 「―――ラドウェアの民よ、聞くがよい! ラドウェアの落城はもうじきだ、うぬらの負けは見えていよう!」 大音声(だいおんじょう)が耳をつんざく。拡声の魔法だ。周囲の森から、鳥たちがバサバサと飛び立つ。 「―――龍の血の女王を引き渡せ! さすればこれ以上の被害は加えぬ!」 「くそッ」 「ちっ」 シュリアストは苛立ちを露(あらわ)にし、同時にカッシュは苦い顔をした。この音量では城下に届かないわけがない。あの地震が敵魔導師の引き起こしたものと民に知られれば、士気が落ちるのは当然だ。まして女王を差し出せば戦いが終わるというならば、結束に揺らぎが生じるのは必至だろう。 「―――自らの生活を! 自らの命を! 守りたければ今すぐ女王を連れて来るのだ!」 山々に語尾が反響する。演説を終えたヴェスタルが、拡声の魔法を解いた。 「あーあ、調子に乗りやがってヴェスタルのヤロー」 ヴァルトの独語を、ティグレインは聞いた。と思う間もなく、《漆黒の魔導師》は胸壁を乗り越える。落下中に塔の外壁を蹴って外城壁との開きを飛び越え、重力を調節してふわりと降り立つ。シュリアストの隣だ。 「シュリっち、ちょっと行って蹴り落としてくる気ない?」 「……何だって言うんだ」 「ん?」 ヴァルトは首を傾げる。シュリアストの拳が胸壁の側面を叩いた。 「龍の血が一体何だって言うんだ! ディアーナは…、ディアーナはそんなもののために犠牲にならなければならないのかッ!?」 「んなことあるかよ!」 カッシュが応じ、ヴェスタルに指をつきつける。 「力がほしい、龍の血がほしい、全部てめえの私欲じゃねえか! ふざけんな!」 再び、兵士たちの間から賛同の声が上がった。副魔導長が先頭に立って煽ることで、戦意を高揚させる。並の魔導師ではなく、肉弾戦を得意とし常に先陣を切るカッシュだからこそ、近衛や守備隊の共感を得やすい。カッシュ自身、大いにそれを心得ている。 ヴェスタルの血走った目が、ぎろりとカッシュを睨んだ。 「人一人差し出すに何をためらう。何がゆえにここまで抗(あらが)う。何もあるまい。うぬらは龍の血の力で魅了されているだけよ」 「ふっ」 不意に、ヴァルトが笑った。胸壁の上に腰掛け、複数の視線を受けながら、半ば体を折るようにくっくっと笑う。 「楽しいね」 「なに?」 実際に声を発したのはヴェスタルだが、シュリアストもカッシュも、恐らくは塔の上のティグレインも、同じ問いを胸に抱いただろう。 「楽しいね。生きようともがく者を見るのは、楽しい」 そう言ってヴァルトは悠然とヴェスタルを見下ろす。その態度に見覚えのあるものを感じ、カッシュは臓腑(ぞうふ)の内側を冷や汗が伝ったように感じた。 ―――まるで、 ―――まるでシェードかエンガルフじゃねえか。 それは、人の形をした、人ではない生き物。 「だけど、」 ヴァルトの口が、ニッと笑った。 「ラドウェアは渡さない」 水平に伸ばしたヴァルトの手の先で、まばゆい魔力の球が膨れ上がる。 「おい!」 慌ててカッシュが止めに入ろうとする。《七星の王》のため、魔力は温存しておかなければならないはずだ。ましてヴァルトが今放とうとしているのは、消費魔力の少ない描紋系ではない。発動こそ一瞬だが、消費魔力が多大な放出系魔法だ。 が、予期せぬところからヴァルトの行為に制止がかかった。黒い外套(マント)をつかんだのは白い手。シュリアストが驚愕の声を上げる。 「ディアーナ!?」 その声を聞き、ヴェスタルの目が見開かれた。 ―――しまった、女王……! 思わず後ずさったがもう遅い。胸壁に乗り出したディアーナの琥珀色(アンバー)の瞳に、吸い寄せられるように目が合う。 「ヴェスタル!」 ディアーナが呼ぶ。ヴェスタルは目を離せない。 ヴァルトはディアーナの出現に驚いた様子もなく、魔力の解放を止めた。手を下ろし、脚を組んでその上に片肘をつくと、ヴェスタルとディアーナの双方に目をやりながら、これから起こることを観察する構えだ。唇にはやはり薄笑み。 そんなヴァルトやヴェスタルに注意を払いもせず、シュリアストがディアーナの二の腕をつかむ。 「ディアーナ、危険だ! 戻れ!」 「待って! 聞きたいの!」 様々な人の手を振り払って走って来たのだろう。息を切らしながらもディアーナはさらに身を乗り出す。 「魔導師ヴェスタル。教えてほしいことが、あります」 息を整えつつ、ディアーナは問いかける。 「あなたは、―――あなたはずっと、一人だったのですか?」 ヴェスタルは唇を引き結んだ。 一瞬は成り行きを見守る姿勢を見せたシュリアストが、ヴェスタルの無言を見て取って、今度は体ごと割り込みディアーナを胸壁から引きはがす。 「駄目だ、ディアーナ! お前は狙われているんだぞ!」 「ありがとう。でも、だからこそ私が聞かなきゃ。私が聞いてあげなきゃ」 決然と顔を上げるディアーナの髪が、強い風になびく。彼女の周囲だけ、腐臭が浄化されているかのようだ。 「『その道が無限のように見えるのは、自分が停まっているから』…ヴァルトが教えてくれた。だから私は、少しでも、彼を理解するために歩きたい」 決意に満ちた瞳だ。彼女を支えるものは、確たる覚悟。何人たりとも止めることはできまい―――カッシュはそう感じた。 しかし、シュリアストはそうではなかった。 「そんな事で命を危険にさらす気か! 女王はラドウェアの旗頭だろう! お前に何かあれば…」 「ありがとう。その気持ちとても嬉しい。でも、」 柔らかに、だが毅然とシュリアストを遮り、ついで、この場に似つかわしくない穏やかな笑みを浮かべる。荒れ果てた地に咲く一輪の花。最後の花にして、そこから再び緑の大地が息を吹き返すに至るであろう、最初の花。 「あなたが私を守ろうとしてくれるのと同じくらい、私はラドウェアを―――みんなを守りたい」 春風が吹いたような錯覚に、カッシュは目をしばたかせる。龍の血の女王は風をすら操ることができたのだろうか。 「………、何で…」 手甲に包まれたシュリアストの手が、ディアーナの右肩をつかむ。引き留めるように、すがりつくように。 「何で、お前が、女王なんだ……」 ディアーナが女王でさえなければ、女王がディアーナでさえなければ、彼が案じ苦しむこともなかっただろうか。とはいえ、果たして女王でなかったとしても、ディアーナが自らを顧みず人を守ろうとせずにはいられただろうか。答えは否だろう。 「ありがとう」 そう微笑むと、シュリアストの手をすり抜けて、三度(みたび)、ディアーナはヴェスタルに向き直った。強い風に巻かれ、栗色の長い髪がなびく。 「魔導師ヴェスタル、話を聞かせて。私が、あなたの話を、すべて聞きます。だから…、これ以上、誰かを傷つけないで」 ひとつひとつ、相手の心の隙間に植え付けるかのように、ディアーナは言葉を発する。ヴェスタルの唇から唸りが漏れた。 |
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