Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"魅了"
〜the Power of High Existence〜

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 長いこと沈黙を保っていたヴェスタルが、ようやくそれを終わらせた。
「今更……」
「えっ?」
 風に撒(ま)かれてはっきりとは届かなかったが、唇の動きでディアーナは察したようだった。今更―――とは、どういうことか。
 ヴェスタルは首を左右に振った。
「ここまで来て、話す事など何もないわ」
 その台詞をどう受け取ったか、ディアーナの瞳が哀れみを帯びる。
「どうしてこうなる前に、ラドウェアにいた時、私の母様―――ユハリーエ女王に、会おうとしなかったのですか? 話してくれれば、きっと…」
「わしは、」
 ヴェスタルが遮った。ディアーナは素早く口を閉ざし、続く言葉を待つ。
「わしはただ、龍の血の女王に魅了される事なく生きる魔導師でありたかっただけの事よ」
「魅了……」
 ディアーナが反芻(はんすう)する。
 確かに、龍の血の女王が他者を魅了するという伝承はある。だがそれは元々、人間ではない者あるいは力あるものが人間を魅了する、という説の延長にあるものだ。少なくとも、ラドウェアではその程度の認識が通っている。
 血走った目を見開き、ヴェスタルは強く拳を握る。
「大陸の名だたる魔導師は皆、龍の血の女王に興味を示し、ゆえに近づいては魅了され囚われて来た。わしはそうはならぬ、わしは自らの意思で生きる!」
 その語る内容が真実であれば、龍の血の女王は数多くの魔導師を魅了してきたことになる。それも相当深刻な度合いでだ。
 不意に苦い記憶を思い起こしたように、ヴェスタルは切歯(せっし)した。
「だがしかし、よもやこの場に女王を連れてくるとはな。うぬの策略か、ヴァルト!」
「いやいやそんな、買いかぶりなさんな」
 手をひらひらと上下させて笑うヴァルトの隣、カッシュは慄然(りつぜん)とした。今思えば、先刻の放出系魔法の構えは、ヴェスタルの注意を引きつけるための演技だったのではないか。
 ヴェスタルは《漆黒の魔導師》に向かって、節くれ立った指を突きつける。
「うぬとて、龍の血なぞ地上にあらぬが良いと言うたであろうが!」
「えっ…」
 ディアーナがヴァルトを振り返る。ヴァルトは舌打ちした。自らの過ちを認めた行為だ。ごく珍しい、それだけに、その場にもたらした衝撃は大きかった。ディアーナの琥珀色(アンバー)の瞳が不安に揺らぐ。
 だが一瞬の後には、ヴァルトは普段通りの飄々(ひょうひょう)とした調子に戻っていた。
「その龍の血で化け物になっちゃったヒトが、何言ったって説得力ないですよ」
「うぬこそ化け物よ! その姿、何ゆえいまだ変わらぬ! 亜人や魔物の力を取り込むこともなく、何ゆえ今まで生きている!」
「それは、妬(や)いてる? それとも―――」
 ささやきかけるように、ヴァルトは言う。
「恐ろしい?」
 それを耳元で言われたかのように、ヴェスタルが竦(すく)む。
 ヴァルトの追撃はなく、ヴェスタルの反撃もなく、互いの間に不自然な静寂が降りる。一陣の風がそれを運び去り、そして再びの静寂が降りる前に、ヴァルトは奇妙な笑みを浮かべた。
「ああ、そっか。悪いね、ヴェスタル。気付かなかった」
 この《漆黒の魔導師》、口を開けばどんな突飛な発言が飛び出すか知れたものではない。ヴェスタルの表情が警戒を露わにする。
「魅了されることのない魔導師になりたかった。そう言ったね」
「…そうだ」
「もう遅い」
 一瞬、ヴェスタルは呆気に取られた様子だったが、次には肩すかしを食らったというふうに、威勢を取り戻した。
「全くよ。うぬにはしてやられたわ。女王がこの場に来さえしなければ、」
「そうじゃない。もっと前」
 ヴェスタルが動きを止めた。ヴァルトを指した指先、握りしめた左手、呼吸、あらゆる動きをだ。ごくり、と喉が鳴る音を、カッシュは聞いたように覚えた。
「なん…だと?」
「お前はずっと前から、魅了されている」
「馬鹿な! このわしが…何者に…」
「何者に、だと思う?」
 悠然と、そして妖艶に、ヴァルトは笑う。その瞳は、光、闇、何もかもを吸い尽くす漆黒。
 ヴェスタルは目尻が裂けんばかりに目を見開く。その暗灰色の瞳が映すはただ一人、《漆黒の魔導師》。
「ば…かな…、」
 じりじりと後ずさる。
「否(いな)! 否! 否! 何の根拠があって…!」
「だってお前、どうしてそんなにラドウェアにこだわるの? ユハリーエの胎盤で取り込んだ力を融合で使い果たして、詠唱系の最上級こんなに使いまくって、仮に今ディアーナを手に入れてもあと百年はろくに魔法使えない。死ぬことで力を失うのを恐れていながら、力をどんどん使い込んでる。どうして?」
 絶句。ヴェスタルは見開いた目を瞬かせることすらできない。ようやく絞り出した声は、ひどくかすれた。
「ラドウェアを陥(お)として、龍の血の力を…」
「お前が諦められないのは、力じゃない。死にたくないのは、力を失うからじゃない。お前が生きていたいのは―――」
「黙れ!」
 ヴェスタルの唇がわななく。怒りにか、衝撃にか、もはや自身にもわからなかった。
 無情にヴァルトが続ける。
「お前はオレを超えたかった。龍の血の力を借りてでも。それは、オレが龍の血に否定的だったから。女王の魅了を避けようとしたのは、かつてラドウェアにいたオレが、女王に魅了されてると思ってたから」
「黙れ! 黙らぬか!!」
「囚われてるのは、ヴェスタル、可哀想に……お前だよ」
 ヴェスタルが愕然としているのは、もはや誰の目にも明らかだった。塔の上のティグレインとモリンにもだ。
「み…魅了されていたのに、ヴァルト様を超えたかった…? ど、どういう…こと、ですか?」
 モリンの発した問いに、ティグレインは目を細める。
「異常なまでの敵対心、及び拘(こだわ)りは、魅了の裏返し。ヴァルトという存在にただひたすら縛られていた…と言う事だ」
 だがそうなれば、当然もうひとつ疑問が沸き上がる。ヴァルトは一体、何者なのか。今まで見過ごしてきた、見過ごすことを努めてきた、その問いと改めて向き合う時が来たのかも知れない。
 動くものはない。ただ風の音がする。息をするのもはばかられるほどの、重い沈黙。その中にあって、シュリアストが呟きを発する。
「そもそも矛盾していた。龍の血の女王の魅了を避けながら、龍の血を手に入れるなど……」
「生き血でなければいけないの?」
 女王本人でなければそうそう発せられぬ問いだ。そのディアーナの方を向くでもなく、シュリアストはうなずく。
「死んだ女王の血では、胎盤と同じだ。限界がある上に長持ちはしないのだろう」
「そゆコト」
 パチン、とヴァルトは指を鳴らす。はじかれたようにヴェスタルは顔を上げた。その面(おもて)には、今や怯えすら窺(うかが)われる。
「悪いね、ヴェスタル。気づかなくって」
 ヴァルトのそれは、慈悲の微笑みだった。見る者にラドウェアが不利にあることを忘れさせる、圧倒的勝者が敗者を労(ねぎら)う際に見せる笑み。
 その表情すら計算ずくのものなのだろうか。口には出さず、カッシュはそっとヴァルトを見やる。
 我に返ったヴェスタルは、屈辱に顔をゆがませ、外套(マント)を打ち払った。
「無駄なあがきを! わしにはエンガルフがいる! そしてリタのディルティンの命は、我が手の内にある!」
「えっ」
 ディルティンの名に、ディアーナが反応した。ヴェスタルの宣言は、すなわちディルティンを人質に取っていることを示唆している。
 しかし、ヴァルトは動じなかった。その唇にはいまだ笑みが浮かんでいる。
「何であれ、ウチの近衛長のカタキは取らせてもらいますから。―――言っとくけど、怒ってますよ」
 最後の一言で、ヴァルトの表情の意味ががらりと変わる。ヴェスタルは鼻白んだ。が、今すぐにヴァルトが動くでもないと見て取ると、腕をひと振りして白い浮遊円盤を出現させた。魔動人形(ゴーレム)の手の上からそれに跳び移り、高度を下げていく。
「ヴェスタル!!」
 塔の上から声が降った。ティグレインだ。
「アリエンは貴殿の存在を知らぬ、だが最後までラドウェアを守らんとした! 夫の仇を討ち、ラドウェアを守るのだと!」
 見上げて、ヴェスタルは返す。
「ぬしの仕業と思うておうたわ。シェードの巨鳥をもって逃したは、やはりアリエンだったか」
 地面すれすれで、浮遊円盤が降下を止める。
「礼を言うとでも思うたか。むしろ、ぬしがラドウェアを攻めやすくしてくれたというものだ」
 言い残して、ヴェスタルは体を返して城に背を向けた。彼を乗せた浮遊円盤が、地を滑るように城壁から遠ざかっていく。その後ろ姿が、やがて森の木々の狭間へと消えた。
 モリンが不安げに魔導長を見上げる。
「ティ…ティグレイン様…、」
「いや」
 珍しく、モリンが何を言うかの予測をすることなく、ティグレインは否定した。
「アリエンの居ないラドウェアを『攻めやすい』と言った。…ヴェスタルは、やはりアリエンを気にかけていた」
 それが判ったところで、おそらく事態の改善はない。自己満足にすぎないやりとりだったかも知れない。だが、少なくとも、ティグレインは得た答えに安堵していた。
 『何の事情もなしに子を見捨てる親など、どこにもいないのですよ』―――ティグレインの脳裏に浮かんでいたのは、先代女王ユハリーエの微笑みだった。

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