Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"守るべきもの"
〜Heart is Still Here〜

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 城下では盛んに救出活動が行われていた。地震で倒壊した家屋が多数。そこかしこで、折り重なった材木の下敷きになった者の安否を確認し、励まそうとする声が飛び交う。近衛や守備隊の非番の者が、自ら救出役を買って出ていた。巫女レリィもまた、怪我人の手当てに当たっている。夕刻には炊き出しの準備も終わるだろう。
 女王ディアーナもまた、民の激励を行った。不安を持て余して集まる者たちにも、落ち着いた笑みで対応していたのはさすが女王といったところだ。
「《七星の王》で吹っ飛ばすよりよかったんじゃね?」
 司令室の窓に腰掛けたヴァルトが、冗談とも言い切れない軽口を叩く。城下が同じく壊滅するにしても、魔導師団による《七星の王》によってではなく、敵魔導師の手によるものであった方が、民の納得を得られるというものだ。
 民への声かけを終え、今はヴァルトの隣で同じ窓から城下を見下ろすディアーナ。その背に、シュリアストが近寄る。
「…なぜあんな真似をした」
 先刻、ヴェスタルの前に姿を現したことだ。ディアーナは上半身を振り向かせて彼を見上げ、ついで微笑んで目を伏せる。
「コウが、守ってくれる気がしたから…」
 シュリアストは溜息をつく。そうする他にないといった体(てい)だ。ディアーナは片手を胸に当てる。
「守るべきものがある限り、人は強くなれる。コウが言ってた。…私は強くなれる。だって、私はラドウェアを、みんなを守りたい」
 眼差しを遠く、傾く陽の照らす山の稜線へ投げる。
「ヴェスタルはきっと、ここまで戦いを大きくするつもりはなかったんじゃないかな。エンガルフの力を借りたからこうなってしまったけど…、本当の目的はきっと、私一人だった」
「ディアーナ、」
「大丈夫。みんなと一緒に戦うって決めた」
 ディアーナが振り返る。珊瑚色(コーラル)の唇には笑み。
「そういえば、まだだったね」
「…何が」
「叙任式」
 部屋の隅で腕を組んでいたティグレインに、ディアーナは目配せを送る。承知して、魔導長は壁から背を離した。靴音を響かせながら女王に近づき、その横に立つ。シュリアストは戸惑った様子だったが、剣を留める腰帯を自由の利(き)く左手で外す。ごとりと落ちた剣を身を屈めて拾い上げ、鞘ごとディアーナに渡すと、彼女の前に跪(ひざまず)いた。長い前髪がはらりと垂れる。
 ディアーナは受け取った剣を両手で捧(ささ)げ持つ。
「シュリアスト・クローディア。汝を近衛長に任命する。この剣をもって、愛すべき者らを守り、導くことを努めよ」
 ラドウェア古語だ。シュリアストは瞼(まぶた)を閉ざす。
「謹(つつし)んで」
 ディアーナは剣をティグレインに渡す。恭(うやうや)しくそれを受け取ると、魔導長は片手を鞘の上に滑らせる。魔力付与(エンチャント)の模倣だ。ディアーナに返し、一歩下がる。受け取った剣をくるりと返して柄をシュリアストに向け、ディアーナは微笑んだ。シュリアストは左手で剣の柄を握る。女王と見つめ合う彼の目元と唇の端に、わずかな笑みが浮かんだ。
 立ち上がり、ティグレインの手を借りて剣を帯びると、シュリアストはディアーナに深く一礼して、司令室を出て行った。
 彼の背後で扉が閉まったのを確認して、ディアーナは後ろに呼びかける。
「ヴァルト」
「んー?」
「聞かせてほしいの。龍の血と魅了について」
 ティグレインはディアーナに目を向ける。女王の顔からは笑みが完全に消え失せていた。
「龍の血の女王は、人を魅了する…、ヴェスタルがラドウェアにいながらにして女王を避け続けたのは、そういうこと?」
「そうね」
「一度でも会ったら、魅了されて、女王の言いなりになるの?」
「言いなりってのはちょっと違う。まー刃向かえなくはなるだろうけどね」
 ディアーナはヴァルトの方を振り向かない。だが、その顔が、徐々に下がっていく。両の手が握り締められる。
「シュリアストが、私を、気にかけてくれるのは…、」
 引き結んだ唇から、途切れ途切れの問いが漏れる。
「それも、龍の血の、魅了の力……なの?」
 ティグレインはヴァルトを見やる。逆光で表情は判然としない。
「どう思う?」
「…わかん、ない、よ……」
 鼻をすする音。それが二度、三度と続く。ディアーナの白い頬を、涙が伝うのが見えた。女王はさらに問いを重ねる。
「龍の…血は、地上にあっては、いけないもの、なの…?」
 ティグレインははっと息を飲んだ。
 ヴェスタルは言っていた。「うぬとて、龍の血なぞ地上にあらぬが良いと言うたであろうが」―――ヴァルトに向かって、だ。
 《漆黒の魔導師》は笑みを浮かべたまま、窓枠に手をついて、両足を床に下ろす。
「オレは―――そう思うね」
 適当なごまかしをする男ではない。ヴェスタルの言葉と照らし合わせれば、ヴァルトがそう答えるのは自然だ。ティグレインは驚愕こそしなかったが、無言の視線でヴァルトを責める。だがヴァルトが動じるはずもない。《漆黒の魔導師》はゆっくりとディアーナに近寄り、その正面に回り込む。
「そして、」
 ディアーナの頬を両手で包み、その額に自らの額をつけて、ヴァルトは微笑した。
「ディアーナ、お前がそれを覆(くつがえ)しなさい」
 下瞼(したまぶた)の縁に涙を溜めたディアーナが、ヴァルトの漆黒の瞳に目を合わせる。
「戦いなさい。戦い抜いて、証明しなさい。いいね? ―――お前は"世界"に愛されている」
「せか…い…」
「そう。オレに一泡吹かせて見せなさい」
 手を離してディアーナの頭を軽く撫で、ヴァルトは身を翻(ひるがえ)した。ディアーナは呼び止めるでもなく、ただその後ろ姿を見送る。
 扉が閉まる。ディアーナは涙をぬぐい、窓の外を見やる。城下の喧騒が伝わってくる。
「…みんな、不安だよね」
「可能な限り民の安定を図る事は出来たかと」
 ティグレインは即座に答える。
 ヴェスタルの脅しがあったとはいえ、その後に近衛や守備隊、巫女レリィ、そして女王ディアーナが住民の助けを行ったことは、政治表現(パフォーマンス)としても悪くはなかった。雨降って地固まる、といったところだろう。
「この期に及んで裏切る者がいるとすれば、精々ヴァルト一人で御座いましょう」
 それを冗談と受け止めかねたか、ディアーナがふた呼吸ほど置いて振り返る。
「ティグは、ヴァルトのことを信頼していないの?」
「信頼の有無以前に、私はあの男の質(たち)をそこそこに知っている。それだけの事に御座います」
「ナメんなティグっち」
 声がしたと思いきや、扉が開いた。顔だけを覗かせたヴァルトが、にやりと笑いを浮かべる。
「愛してるわよ」
「……もう少しましな言葉は無い物か」
 ヴァルトが会話を聞いていたことに関しては、もはや追求する気にはなれなかった。ヴァルトはもう一度にやりと笑うと、顔を引っ込め扉を閉じた。

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