Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"命を懸けて"
〜a Risk〜

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 戸を叩き、しばし待ったが、反応はない。シャンクは留守のようだった。シークェインは片手を腰に当てて溜息をついた。もう一方の手には、有り合わせの布に包まれた剣。黒耀石の三日月刀―――ヴァルトのものだ。
「シークェイン殿」
 後ろからかけられた声にわずかに硬直し、はずれだな、と胸中で呟きながら、幅の広い肩を返して振り向く。
 黒い髪に端麗な顔立ち、巫女親衛隊長クライア。年は四十を過ぎているはずだが、三十に見えるかどうかといったところだ。妻帯者という噂は聞いたが、所帯じみたところが全くない。夜な夜な美女の血でも啜ってるんじゃないかとシークェインなどは思う。
 黒い眼光鋭く、低い声が問った。
「シークェイン殿。貴公、エンガルフと戦うと?」
 そら来た。シークェインは苦い顔を隠そうとはしなかった。ティグレインと並んであまり気の合ったためしのない相手だ。恐らく向こうもそう思っているか、はたまた、巫女殿はなぜこのような男を選んだかと嘆く父親のような心境かもしれない。
「会議で決まったことだ、知ってるだろ」
「コウ殿が敵(かな)わなかった相手だ」
「知ってる。だが勝負は時の運だ」
「手合わせではない。負ければ、死ぬ」
「なんだ今さら。そんなの当たり前だろ」
 脅しのような表現を重ねられたところで、シークェインに屈するつもりはない。それを悟ったかはたまた呆れたか、クライアはいつの間にかそうなっていた前傾姿勢から立ち直った。
「巫女殿は今、繊細(デリケート)な時期にある。貴公に死ぬ自由はないと思ってもらいたい」
「心配するな。おれは死なん」
 クライアの表情が、今度こそ呆れを露(あら)わにした。
「死なない? 根拠は? 骨董屋で手に入れた運命記録書に書いてあったとでも?」
「じゃあおれ以外のだれがやるんだ」
「それを探す手間を惜しんだだけにしか聞こえない」
 深い吐息と共に、クライアは腕を組んで首を傾ける。
「全く、貴公の出撃前に流し込んでやりたいところだ、睡眠薬を蒸留酒で」
「おう」
 シークェインは全く別の方向に向かって呼びかけた。短い金髪をさらさらとなびかせながら、シャンクが歩いてくる。同じ整った顔同士、黒髪のクライアと並ぶと、詩人の物語に出てくる聖騎士と魔王のようだ。
「おはようございます」
 にこりともせずに返してくる。長い髪と共に感情を切り落として捨てたかのように、あれきり表情がなくなった。今も、自室の扉の前に立つ二人に興味を示すでもなく、把手(ノブ)に手を伸ばそうとする。
 その行く手を、シークェインは遮った。
「次の出撃。おれが、エンガルフの相手をする」
 シャンクの榛色(ヘイゼル)の瞳が、初めて動いた。シークェインを見据える。
「そう決まったんですか」
「まあな」
「私も行きます」
「おまえは肩の傷があるだろ」
 何の前触れもなく、シャンクが抜剣した。切っ先をシークェインの咽に当てる。脅し、にしては度が過ぎるだろう。さすがにクライアも眉を顰(ひそ)める。
 端然と、シャンクは言い放った。
「このくらい何でもない。コウさんの仇を討つのはボクだ」
「なら、交渉成立だ」
 顔色一つ変えるでもなく、シークェインは手に持った三日月刀を投げやる。何を投げられたかと、シャンクは自分の剣を引いて両手で受け取った。布に包まれた剣と知って、疑問の視線を投げる。
「おれが隙を作る。その間におまえはそいつを刺せ」
「これは?」
「《七星の王》はこいつを追尾するんだと。刺さると相手の体にもぐり込むらしい」
「…エンガルフに刺せば、地上にいようと霊界にいようと息の根を止める…、そういうことですか?」
「まあ、そういうことだ。じゃあな、当日たのむぞ」
 軽く手を挙げて踵(きびす)を返すシークェインを、シャンクは呼び止めた。
「シークさんは?」
 シークェインは肩越しに答える。
「言ったろ。おれが隙を作る。おまえと心中するのはまっぴらだからな。二人で生きて戻るぞ」
「…邪魔なんです」
「あ?」
 シークェインは片眉を上げた。シャンクの顔が、秀麗な眉目はそのままに、陰の表情に変わる。
「邪魔なんですよ。生きて戻るなんて誓いも、生きて帰ろうとする連れも。こっちは差し違えるつもりでいるのに、仕留める確率を下げてぐちゃぐちゃに引っかき回す。…邪魔なんです」
 静かにシークェインを見上げるシャンク。まるでシークェインこそが憎しみの果てに追いつめた仇であるかのように。右手に持ったままの抜き身の剣、今度は脅しではなく貫きかねない。さすがにシークェインもクライアも鼻白む。
 が、回復は早かった。シークェインは唇の右端を引き上げる。
「じゃあ、おれは勝手にやつと戦う。おまえはおれを利用しろ」
 シャンクの目がわずかに見開かれた。その口が言葉を紡ぐより先に、別の声が割って入った。
「シ、シークェイン様」
 一同が振り向く。転がるような勢いで、モリンが駆け寄ってきた。
「ティ、ティグレイン様が、お呼びです」


◇  ◆  ◇


 魔導師の塔。モリンに付き添われて昇降機を上り、七階にたどり着いた。
 どこかしら力ない溜息を、シークェインは漏らす。何しろ、クライアと並んで気の合ったためしのない相手だ。前門の親衛隊長、後門の魔導長。元の諺(ことわざ)は忘れたが、そんな成句(フレーズ)が頭をよぎったのは確かだ。
 扉を軽く叩く。応答を得て、部屋に足を踏み入れた。以前この部屋に入ったのはいつだっただろう。本と紙と墨の匂いのする部屋は、あと千年を経てもこのまま保たれているのではないかと錯覚させる。
「来たか」
「なんの用だ。説教か」
 それには答えず、ティグレインは、手元に小さく折り畳まれた赤い布を手に取った。
「貴公に一つ、気休めを渡して置こうと思ってな」
「気休め?」
 何の、と訊こうとして思い当たる。
「おれはべつに心配してない。生きて戻るって決めてるからな」
 ティグレインは目を逸らし、どこかしら自嘲に似せて微笑した。
「そうだな、私の気休めだ」
 魔導長は椅子から腰を上げ、シークェインに歩み寄って、布を手渡す。
 さらりとした手触りだ、絹布だろう。その中に確かな重みがあった。シークェインは右手の指先で布を開いていく。現れたのは指輪だ。艶(つや)やかに光る白銀の台座の上に、黒い表面でありながらも白く輝く小さな珠(たま)
「耐魔具だ。《七星の王》から、僅(わず)かなりとも身を守り得る可能性が有るやも知れぬ」
 そのまどろっこしい表現が、まさしく気休め程度の耐久力なのだろうと窺わせた。なぜわざわざこんなものを渡すのかわからない―――そう思ってから、なるほど気休めか、とシークェインは納得した。
「わかった。もらってく」
 無造作につかみ、物入れ(ポケット)に入れようとしたが、そのまま忘れてはまずいと思い直して指に通す。寸法(サイズ)を測られた覚えはないが、左の中指にぴったりはまった。
 他に用がないことを確認すると、シークェインはモリンを引き連れて部屋を出、昇降機を降りて行った。ティグレインは自席に座し、そのまま力を抜く。
 しばらくして、モリンが戻って来た。おずおずとティグレインに話しかける。
「あ、あの、さっきの指輪…、黒真珠と、あと、白金(プラチナ)、ですよね?」
「…良く見ていたな」
 幾分驚きを込めて、ティグレインは応じた。モリンが魔導具について学び始めたのを知ってはいたが、その眼力がいかほどのものかまでは、ついぞ知る機会がなかった。
「あ、あんな見事な黒真珠、ど、どこから…?」
「私が長らく預かっていた物だ」
 あれは、そう―――十一年前になる。未明に息を引き取った前女王ユハリーエを看取り、自室に戻って椅子に腰掛けたまま泥のように眠った翌日のこと。
「ティグレイン殿」
 声に、目を上げた。赤い髪に茶褐色の瞳、アリエンがそこに立っていた。
「ユハリーエ様から預かり物があります」
 アリエンは、手に持っていた皮製の小袋を差し出した。
 重みが手に加わる。中身が何であるかは判っていた。龍を象(かたど)った金の首飾り。その中心に埋め込まれているのは、黒真珠。かつてユハリーエがティグレインにと下賜(かし)し、ティグレインが金細工を施してユハリーエに返したものだ。
 ―――最後の一つ……。
 ユハリーエから預かった黒真珠は、元々二つあった。一つは、逡巡(しゅんじゅん)の末に耐魔具を作らんとしたが、失敗して失った。
 そして、今。十一年を経て、つい先刻に成功した耐魔具。シークェインに渡した物はそれだ。
 この大陸じゅうを巡ったとて、あれほどの黒真珠は五つとないだろう。台座に使われた白金にしろ、気軽に手に入れられるものではない。そして何よりも、魔導具の作り手たるティグレイン。最高の材料と最高の作り手をもってして作られた耐魔具である。魔力のない人間であろうとも、詠唱系上級魔法、例えば《紅蓮の大河》に耐え切るだろう。ともすれば最上級である《波紋の刃》からも生き残れるはずだ。
 これが気休めにすぎないのは、耐魔具の効果が低いのではない。《七星の王》の威力が強大すぎるのだ。
 ティグレインは瞼(まぶた)を閉じた。途端、重い疲労感に襲われる。
 《七星の王》への影響は十分慎重に考えた。発動に皺寄(しわよ)せは出ないはずだ。だが、幾分なりともこの耐魔具に魔力を費やした以上、《七星の王》で自らが生き残る可能性は更に低くなる。
 ―――私は、死ぬのだろう。
 眠りに落ちかける意識の中で諦観する。その脳裏を、覚えのある顔がよぎった。
『生き残るって、約束』
 ヴァルトだ。その差し出す手が、宙に浮いている。
 ―――私は、裏切り者だ。
 ―――約束とは儚(はかな)き物。貴殿が望めど、私が望まねば崩れ去る。
「ティ、ティグレイン様?」
 モリンに声をかけられ、我知らず伸ばしていた手に気づいた。笑みが、口元を飾る。
 ―――否。決めたのだったな。生き残ると。
 フッ、と微笑混じりの呼気が漏れた。差し出されたヴァルトの手を握った気がしたのは夢か現か。ティグレインは短い眠りに落ちて行った。

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