Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"決意"
〜I do not Run Away〜

<<前へ   次へ >>
 出撃の日を迎えた。
 鎧を鳴らしながら城の廊下を歩くシュリアストの後ろを、つかつかと靴音高く追う小さな影があった。
「ねえちょっと! あんたバカじゃないの!? その腕で何するつもりなのよ!?」
 ディアーナとレリィの親友にして侍女のエリンだ。シュリアストは歩みを止めない。
「ちょっ…、」
 聞く耳がないのを見て取って、エリンは言い捨てる。
「ディアーナ呼んで来る」
 シュリアストの足が、初めて止まった。広い肩が振り返る。兜の下の双眸(そうぼう)は、音なき深海のように静かだ。
「何のためにだ」
「あんたを止めてもらうに決まってるでしょ!」
 両腰に手を当てて、エリンは爪先立ちでシュリアストに食ってかかる。それでも、深海の青にはさざ波ほどの揺らぎもない。
「呼びたいなら呼べばいい」
「ちょ…、本気!?」
「ディアーナが止めても俺は行く」
 エリンは硬直した。そんな答えが返ってくるとは夢にも思わなかった。わずかに顔を歪(ゆが)めながら、効かぬとどこかで判っていながら、力なく最後の脅しを使う。
「ディアーナ、泣くよ?」
「ディアーナは泣かない。ここで泣くのは女王のする事じゃない。それに、」
 シュリアストは決然と宙を睨(にら)む。
「ディアーナが泣いても、俺は行く」
 言葉もないエリンに背を向けながら、シュリアストは呟きを落とす。
「俺は戦う。俺が最後の一人になっても」
「ばかにするな」
 横から声が割り込んだ。
「最後まで行っても二人だ。それで、おれがおまえを連れ戻す」
 二つの角のついた兜。堂々たる鎧姿。シークェインだ。折り畳まれた白い布を、シュリアストに投げ渡す。
「行くぞ。弔い合戦だ」
 見れば、シークェインもまた同じ布を手にしている。
 エリンは右の口角を上げた。シルドアラで弔意(ちょうい)を表する際に身につけるものであるということを、昔に彼から聞いて知っている。
「相変わらずね、その突っ走り方。ついてけないわ」
「なんだ今頃。おまえから振ったくせに」
「ついてけないから振ったのよ、バカ」
 シークェインの鼻先に指を突きつける。それを下ろして腰に当てると、エリンは人並み外れて背の高い兄弟の顔を交互に見やった。
「死ぬんじゃないわよ、二人とも。あんたたちが死んだら泣く人がいるんだからね」
 シークェインが悪戯(いたずら)めかして笑う。
「おまえが泣くのは見たことないな」
「バカ。あたしは泣く必要ないわよ。あんたは殺したって死なないんだから」
「ひどくないかこいつ」
「…俺に言われても」
 反応の芳(かんば)しくないシュリアストの鎧の二の腕をつかみ、シークェインは外への出口へと体を向ける。振り向き際、エリンに目配せした。
「モリンとうまくやれよ」
「当然でしょ、甲斐性なし」
 口をとがらせながらも、目は笑っている。シークェインもまた笑った。彼女に背を向け、歩き出す。
 手に持った長い白布をひとつはためかせて広げ、腰に巻く。そうしながら、コウの言葉を思い出していた。
 ―――「人は、心ひとつで強くもなるし弱くもなる。そういうものだよ」
 隣を見やる。気づいて、弟が視線をよこす。いつからだったか自分の背を抜いた彼に、シークェインは笑みを投げ返す。大きな反応は相変わらずない。だが、青い瞳が微(かす)かにうなずいた。
 ―――「心ひとつで」
 長い白帯を翻(ひるがえ)しながら、シルドアラ生まれの兄弟は、堂々と、開け放たれた扉に向かって歩き出した。


◇  ◆  ◇


 階段を一段ずつ、どこか心ここにあらぬ様子で降りてくるディアーナを、モリンは神妙な面持(おもも)ちで見守る。彼に気づいたディアーナが、にこりと笑んだ。
「モリン、お疲れ様。今日は頑張ってね」
「は、はい」
 反射的に最敬礼をする。顔を上げてから、笑みを浮かべたままのディアーナに、おずおずと尋ねた。
「あ、あの…、大…丈夫、ですか?」
 笑みの仮面の裏を見抜かれた―――そんな表情でディアーナは息を飲む。それから、恥じ入るように目線を下にさまよわせた。
「…ずっと、考えてたの。死んでしまうかも知れない人たちに、一体何を言えばいいんだろうって」
 一人で抱え込んでいたのだろう。仮面を外したディアーナはいつになく饒舌(じょうぜつ)だった。
「士気が上がるようなことを言わなければならないのは、わかってる。でも、それはどこまで私の本心なんだろうって。本当は…本当は、みんな逃げてほしい。地震で家もなくなった人ばかりだし、もう私のことも国のことも守らなくたっていい。私が死ねば諦めてくれるかなって思ったりもした。でも、」
 息を深く吸う。
「でもきっと、それは違うんだと思う。…ヴァルトは、戦い抜いて証明しなさいって言った。私には、まだわからないけど、でも、…逃げないって決めた。私が愛されてるっていう、命を懸けられてるっていう、そのことから」
 逃げない。その言葉通り、ディアーナの琥珀色(アンバー)の瞳が燦爛(さんらん)と輝く。そして不意に、口元を綻(ほころ)ばせた。
「すごく、誰かに聞いてほしかったの。ありがとう、モリン」
 吐露、決意、安堵。めまぐるしく変わる表情は、仮面の笑みの数倍も美しい。命の通(かよ)ったものにしか許されぬ移り変わりだ。ディアーナ以上に表情豊かなエリンを、彼が愛しく思う理由のひとつであることは恐らく間違いない。
 一方でモリンの側には、懸念(けねん)がひとつ残されていた。
「あ、あの…、敵の魔導師が、ディルティン様を人質に取ってるって…」
「…うん」
 正確には「ディルティンの命は我が手の内にある」と言っていた。ディアーナの顔色が優れなかったのはそのためでは、ともモリンは考えていた。
 問い未満であるその声に対する返答は、モリンの予想を遙かに超えて明快だった。
「でも、私はラドウェアを、捨てられない」
 たとえ切り札として出されたとて、一片の動揺もない。そう確信させる、断言。
 ―――ああ、この人は、女王だ。
 ―――皆に愛され、命を懸けられた、ラドウェアの女王。
 眩(まぶ)しさに目を細めるモリンに、女王は手を伸(の)べた。
「行こう。みんなの所へ」

<<前へ   次へ >>
▽ NARRATIVEインデックスへ戻る ▽