Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"それぞれの願いのために"
〜Believe in Life〜

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「全軍後退!」
 駆けつけたシャンクの報告を受け、シュリアストは命令を下した。それを受けて、不死の兵士たちと斬り結んでいた兵が、切り株に躓(つまず)かぬよう慎重に後退を始める。
 シュリアストはいち早く後方に戻り、ビスタに預けた馬の手綱を受け取った。
「作戦は中止だ。エンガルフを見失った以上、どうにもできない」
 左手を鞍にかけ、勢いをつけて跨(またが)る。隣でジャルークが同じく騎乗する。せめて《七星の王》で魔動人形だけでも何とかするわけには―――そう進言しようとしたが、思い直してジャルークは引っ込めた。《七星の王》はラドウェアの内城壁をも崩壊させる。使った後にエンガルフが戻って来れば一巻の終わりだ。
 不死の兵士たちが追って来ないことを確認し、シュリアストは馬首を巡らせる。作戦中止はこれで二度目だ。歯噛みせざるを得ない。
「…すみません」
 責任を感じてか、視線を落とすシャンク。シュリアストはただ一声投げる。
「仕方ない」
 次いで、逆側に控える魔導師の方へ顔を振り向けた。
「ビスタ、魔導師団に連絡を」
「はい」
 そこで今度こそ、ジャルークはシュリアストを呼び止めた。
「近衛長、シークェイン様は…」
 シュリアストの細い吸気を聞いた気がした。
「―――仕方ない」
 兜の下の表情は、ジャルークの位置からは窺えない。


◇  ◆  ◇


 ビスタより作戦中止の報を受け、魔導師団の間にひとまずの安堵の空気が流れる。が、ティグレインはその仲間に入ることはなかった。通信の魔導具を通して命令を下す。
「隊列を崩すな。エンガルフが戻って来る可能性はまだある」
「そうね」
 隣のヴァルトもまた、引き締まった表情を崩さない。
「アイツはシークをギリギリまでいたぶって、レリィに見せつけに来る」
「…巫女殿がしばし目を覚まされぬ方が幸いか」
「まー、でも決着つくのがあんまり遅いと今度は魔動人形がねー」
 魔動人形に内城壁を崩されれば、より正確には内城壁に施された防御結界が破壊されれば、エンガルフが市街に、そして本丸(キープ)に乗り込んでくる。一巻の終わりだ。
「…シークェインが捕らえられた、か…」
 そう改めて口に出すと、事がいっそう重く胸に圧力をかける。巫女レリィが意識を取り戻せば、彼女は交渉するまでもなく折れて、エンガルフの条件を―――すなわち霊界に降りてかの者の手に収まることを―――飲もうとするのではないか。
「エンガルフの相手するには、シャンク一人じゃ荷が重いやね」
 ヴァルトの口から出たのは、守備隊長の生還の可能性ではなかった。その事にティグレインはわずかに目を剥く。ヴァルトにとってシークェインは、少なくともティグレインにとってよりは、決して少なくはない一定の割合を心に占める人物だと解釈していた。
 だが同時に思い起こしたのは、知己であるヴェスタルと戦うのか、と問った時のことだ。「オレは優先順位の関係でヴェスタルを捨てますよ」と言った。なるほど、彼の中の冷徹な「優先順位」は、今度はシークェインを捨てたというのか。
 本来、それは魔導長たる己にこそ必要な冷徹さだ。状況を見極め、足掻いたところで拾えぬものは諦める。この世の全てのものを拾い歩くことは不可能だ。
 それを拾わんとするようになったのは、先代女王ユハリーエの影響と思われた。全てを手の中に拾い上げ、なおかつ慈しむ。ディアーナもまた同じだ。彼女たちは、その代償として短命の宿命を負っているのではないか。そうとさえ思わせる。
 ヴァルトの非情を非難することもできた。ヴァルトは微笑んで受けるだろう。だが、ティグレインはそうすることを選ばなかった。
「…そうだな」
 見下ろした城下には倒壊した屋根の波。その向こうに、攻撃を受け続けている内城壁。
 胸の内に渦巻く感情の整理の仕方は、シェードに幾度となく教えられた。斬れ。私情を斬り捨てろ。ラドウェアのためには何が必要か、ただそれだけを考えろ。
 だが。
「カッシュ」
 通信器に向けて、副魔導長の名を呼ぶ。
「受け取って貰いたい物がある」
『何だよ。最後の最後に恋文か?』
「そんな所だが、貴公宛では無い」
『そりゃよかった』
 屋上からやや身を乗り出すと、遥か下でカッシュが手を振っているのが見えた。ティグレインは懐から袋を取り出し、下に向かって放り投げる。カッシュは数歩前に出て受け取った。袋の中身を確認する。
『色々入ってんな。全部魔導具?』
「左様」
『これでシークを何とかしろってか』
「使い道は貴公に任せる」
『おう』
 ティグレインに向かって、もう一度手を振るカッシュ。ヴァルトはちらりと隣を見やる。
「信じてるんだ?」
 問いというより、確認だった。
「そうだな」
 そこに、わずかなりとも可能性があるのならば。
 賭けは好むところではない。だが、賭ける以外に、シークェインが生還する可能性を見出せなかった。
「結果を引き受ける覚悟」
 ぽそり、とヴァルトが言葉を落とす。ティグレインに向けてかどうかは定かではない。だが、彼の言う「覚悟」がなければ、決定はただの楽観者の賭けにすぎない―――ティグレインはそう解釈した。そして、自らの行いが楽観者の賭けではなかったかどうかは、残念ながら、保証しうるものではなかった。

◇  ◆  ◇


 大地に蹄の律動を刻みながら退却する騎兵の最後尾、考え込んでいたシャンクが、不意に手綱を打って前方へ出た。数十の列を一気に追い抜き、シュリアストの斜め後ろに続く魔導師に並ぶ。
「ビスタさん!」
 呼ばれて、魔導師ビスタが振り向いた。蹄の音に遮られぬよう、シャンクは声を張り上げる。
「通信の魔導具をください! 魔導師団とつながるのを!」
 即座にビスタは問い返す。
「何に使うんですか!」
「エンガルフは、必ずもう一度現れる! 探します!」
「駄目です、私の一存ではできません!」
「…シュリアストさん!」
 シャンクは近衛長に標的を移す。
「許可をください! シークさんを助けられるかも知れない!」
 赤い房飾りのついた兜が、ちらりとシャンクを振り返った。が、すぐに前方に向く。そのまま数秒。シャンクがしびれを切らす直前、兜が再度振り返った。
「好きにしろ!」
 応じてシャンクはビスタを見やり、ビスタは首元の魔導具を外す。双方が馬上から手を伸ばす。前後左右に揺れる魔導具を、シャンクはしかと受け取った。シークェインの魂をその手に受け取ったかのように。
 物言わず、シャンクはただ一騎、騎馬の列から弧を描くように離れて行った。

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