Radwair Cycle
-NARRATIVE-
"刻一刻"
〜Moment by Moment〜

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 ガシャン、と鎧の音が鳴った。音のした方にエンガルフは目を向ける。
 霧の中、一人の男が、地面に片膝をついていた。赤い房飾りのついた兜。全身を覆う鎧。背中に垂れる外套(マント)。おもむろに立ち上がれば、かなりの長身と知れる。
 浮遊の魔導具による落下軽減の力を借りて、近衛長シュリアスト・クローディアは地の上に降り立っていた。その後ろには副魔導長カッシュがいる。
「ふん。次から次へと」
 エンガルフの足の下に、守備隊長シークェインの姿がある。鎧の胴部はそこかしこがへこみ、兜は無惨に潰されて少し離れた地面に転がっている。死闘の痕跡と呼びたいところだが、エンガルフが無傷である以上、一方的ないたぶりの結果と言うべきなのだろう。
「いいだろう。面白くないと思っていたところだ、観衆のないなぶり殺しはな」
「させるかよ!」
 エンガルフの不穏な物言いに、カッシュが動いた。両腕を勢いよく振り下ろすと、腕を守っていた魔導具が刃となって手の中に収まる。二刀流の剣士にして体術の達人、それが副魔導長カッシュ・キーヤン。
 地を蹴る足が加速し、双剣は魔力を帯びて、霧に青白く光の尾を引く。魔力付与(エンチャント)した剣と同様、鉄の剣では斬り得ぬものをも斬り裂く刃だ。エンガルフを正面に捉(とら)え、左から斬りかかる。
 エンガルフは億劫(おっくう)げに右手を上げ、斜めに降り下ろされる刀身をつかむ―――のであればカッシュの思う壷(つぼ)だ―――と思いきや、一歩前に踏み出した。常人であればあり得ぬ命知らずな動きに、カッシュは半ば恐怖による反射で身をよじる。結果、頭を鷲掴みにするはずだったエンガルフの手からすんでのところで逃れた。が、左手の剣もまた軌道を逸れる。
 突如、そこに斬り上げる刃があった。カッシュの脇を縫うように現れた剣先を、エンガルフは上体を反らして避ける。剣はそこから横に鋭く切り返した。エンガルフは下がりながらかわす。
「危ねえな!」
 思わず声を上げるカッシュの影から、シュリアストが飛び出した。踏み込み、斬り込む。薙(な)ぐ。左手では扱い慣れぬ剣の先がぶれるが、手数に物を言わせての猛攻。
「なかなかに動くな?」
 エンガルフの笑いが示すものは余裕。ひらり、ひらりと、衣を返しながら避け続ける。それがいつ、反撃に切り替わるか。させるまいと、カッシュは背後に回り込んで、退路を断つよう剣を突き出す。
「ふふん」
 エンガルフがまた笑った。と思いきや、視界から消える。次の瞬間、カッシュは足をすくわれた。屈み込んだ姿勢から放たれた蹴りが、カッシュの両足を地面から引きはがしていたのだ。
「おわっ」
 たまらず姿勢が大きく崩れる。地面に激突する直前、襟首(えりくび)を掴まれた―――と思ったのもまた一瞬のこと、視界がゆがむほどのすさまじい勢いで振られ、遊技用の玉か何かのごとく放り投げられた。
 飛ばされた方向も定かではない。浮遊の魔導具を使って勢いを殺したのは、城壁に叩きつけられる寸前だった。体を反転させ、壁を蹴って地に降り立つ。
 シュリアストはエンガルフから目を逸らしもせず、絶え間のない攻撃を続けている。一瞬前のカッシュの危機に気を取られた様子もないのは、その余裕もないか、信頼か、はたまた犠牲もいとわぬか。
 そしてその攻撃の全てを、エンガルフは軽く避け、いなす。疲労は、連日まともな休息を取れぬシュリアストの動きに濃い色を落としている。彼を動かしているのは体力ではなく気力。その気力もまた、一撃一撃をかわされ防がれるたびにすり減っていく。
 ついにシュリアストが、脛(すね)から下が崩れ落ちたかのように膝をついた。その事実に、他ならぬシュリアスト自身が愕然とする。
 エンガルフが反撃に移らなかったのは、敗北感をより強く植えつけるためか。低く笑い、シュリアストを見下ろしている。
「巫女をここに連れて来い。そうすれば、あるいは貴様たちの命は助かるかも知れんぞ?」
「ざけんな」
 カッシュが口中で呟く。見逃す気などさらさらなかろうに、と。
「断る」
 口調と眼光は鋭いが、シュリアストの脚は動かなかった。こういった場面で取り引きめいた小細工を一切しないところは、なるほど兄譲りだ。あるいはそれがシルドアラの気風なのか。
 霧が濃い。寒気をすら伴って全身にまとわりつく。ちらり、とカッシュは上空を見やる。詠唱は既に始まっているはずだ。
 時間がない。かといって焦りを見せてはならない。ここで失敗すれば、失うのは自分の命では済まない。ラドウェア王国の歴史の閉ざし手になるつもりは毛頭ない。
 シュリアストを時間稼ぎに使ったつもりはないが、おかげで息は整った。次の行動を起こす時だ。ティグレインから受け取った魔導具の袋の中身を脳内でさらいながら、カッシュは唇を舐めた。


◇  ◆  ◇


 ヴェスタルは迷っていた。
 あのヴァルトが、何の勝算もなしに兵を出し、退かせるとは思えない。少なくとも、ヴェスタルが霊界に逃げる手段を持っていることは見越しての出撃だったはずだ。それが何なのか、いまだ掴(つか)めてはいない。
 エンガルフの側にいて身を守らせることも考えたが、それもまたヴァルトの計画のうちと考えれば、安全とは言いがたい。
「ぬかったわ…」
 切り札と思っていた霊界への退避を、早々に使ってしまったのは迂闊(うかつ)だった。おびき寄せた近衛をエンガルフが難なく全滅させるだろうと踏んでいたが、どうやら遊び半分で多くを城へ逃がしたらしい。読みが甘かった。かの《霊界の長子》は、他人の都合など気に留めもしないのだ。
 それでも、《崩落の饗宴》で片が付くものと思っていた。エアヴァシーを実質的に陥落させた魔法だ。それをもってして、よもやラドウェアの内城壁がびくともしないとは想像だにしなかった。かの詠唱系上級魔法を使用したおかげで、残された魔力はごくわずかだ。魔力を発する替え玉(ダミー)を森の中に点在させるという案も廃せざるを得なかった。
 魔導師団にこれまで目立った動きがないのも気になった。最初の出撃の際に突破口を開いたのみだ。
 さらには、先ほど出てきた騎馬隊もまた大きな動きなく退いたのも不可思議だ。戦いの埒(らち)が明かぬがゆえの撤退、と考えるのはたやすい。エンガルフの出現により被害を受けての撤退、とも考えられる。だが、エンガルフの出現は当然読まれていたはずだ。
 そのエンガルフはもはや命令を聞くことなく、好き勝手に動いている。今どこで何をしているかさえ判然としない。
 不死者たちの数も相当減っている。腐れ落ちた人体はもはや盾にすらならない。
 鈍い破裂音がした。紐状の組織が、服を突き破って脇腹から噴き出している。ヴェスタルは忌々しげに手で押さえ込む。
 体が崩壊に向かっている。一刻も早く、龍の血を手に入れなければ。
 その時。城の方角で、爆発と紛(まが)う強大な魔力の放出を感じた。反射的に目をやる。
 本城(キープ)の上空に、異変が起きていた。


◇  ◆  ◇


「地より天へ我は希(こいねが)う 《狭間》の虚空に棲まいし龍王よ 汝に連なる者の血を以(もっ)て 今こそ汝に語りかけん」
 天を抱くように両腕を大きく広げ、ヴァルトは瞼(まぶた)を閉じる。その手が、一気に降り下ろされた。
「我に力を貸し与え賜え!」
 耳をつんざく爆音と共に、魔法的な圧力が、詠唱者らを大地に押しつけんばかりにのしかかった。
 降りた。強大な力が。ティグレインは確信する。ヴァルトの詠唱は朗々と続く。
「龍王の威をもって 《調停の地》より五界の王に命ず! 天界の王レイヴァーン 霊界の王エンガルフ 火界の王カルカブレイヤ 水界の王フィリラリューイ 風界の王ヴィルオリス」
 詠唱の中に聞きなじんだ名が交じる。《七星の王》の詠唱に、ヴィルオリスが必要だと言った理由。
 そして、ヴァルトの詠唱はこう続いた。
「集え七星の王! 《狭間》の龍王ヴィエンディラードの名において 我《黒耀(こくよう)の魔導師》ルニアスが盟主とならん!」

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